[81]オリンピックの日本の選手達(1)

2019年3月21日

第81回
■オリンピックの日本の選手達(1)
《第5回 ストックホルム大会 スエーデン》
大正元年(1912)に開催された此の大会に日本は初めてオリンピックに参加したらしいですが、出場選手や成績などは残っていないようです。私もまだ生まれても居ませんから、知る由もありませんが、此の大会には入賞者はなかったようです。
《第7回 アントワープ大会 ベルギー》
大正9年(1920)に此の大会が開催されました。日本からも参加して、「熊谷一弥」がテニス男子シングルスで「銀メダル」。そして「柏尾誠一郎」と組んだテニス男子ダブルスで「銀メダル」を獲得した。此の大会では「銀メダル」を2個獲得しましたが、日本ではオリンピックで最初にメダルを手にした人ではないでしょうか?
《第8回 パリ大会 フランス》
大正13年(1924)フランスのパリで此の大会が開かれました。日本の選手では「内藤克俊」がレスリングフェザー級フリーに出場して「胴メダル」を獲得しています。
《第9回 アムステルダム大会 オランダ》
昭和3年(1928)では私は1才ですから知る由しもありませんが、のちの記録で書いて置きます。
○織田 幹雄・・・
昭和3年(1928年)夏季大会にて日本初の「金メダル」を獲得したのが「織田幹雄」氏でした。
三段跳びで15m21cmと云う記録で世界一になったのです。当時織田幹雄は明治38年3月30日生まれの23才でした。生まれは広島県安芸郡海田町です。その後は国際陸上競技連盟や日本陸上競技連盟の役員を務められ、陸上競技の普及発展に努められたそうですが、昭和63年に文化功労賞を受賞され、平成10年12月2日に93才と云う長寿を全うされて逝去されました。
○人見絹江・・・
此の昭和3年のアムステルダム大会から、女子陸上が正式種目になったので、日本から唯一人見絹江選手が参加しました。オリンピックに参加した女子選手の草分けの存在でしたが女子100mでは残念ながらメダルは獲得出来ませんでしたが、それだけでも意義のあることだと思いますね。
彼女は陸上100mに出ればメダル確実と云われ、日本の代表と云うプレッシャーに負けて、結果は準優勝で敗退してしまいました。残された競技は800mだけでしたが、彼女は此の距離を走った経験はなかったそうです。周りでは「女性が陸上をやることの困難さを一人で背負っているんだ」「これ以上女性に恥を掻かせることはないから800は棄権したら」等と云われたが、人見はコーチに「800mの走り方が分からないから、教えて下さい」と云ったそうです。
そこでコーチは「700mだと思って走れ、後の100mは考えるな、君は100mのスペシャリストだから、躰が自然とスパートする」と教えたそうです。でもコーチは他の人に、彼女は緊張でガチガチになっているから、それを解きほぐす為に云ったことで、勝つ確率は0だ」と云ったそうです。
ですけど人見は頑張りました。結果はコーチが云ったように最後の100mでラストスパートして、見事に2位に入ったそうです。そして見事に「銀メダル」を獲得したんです。
当時21才だった人見絹江は、此の激闘で生命力をなくした様に三年後の24才で、奇しくもオリンピックの決勝と同じ8月2日に此の世を去ったそうです。
此の大会でメダルを獲得したその他の人達。
○競泳男子200m平泳ぎ  金メダル 「鶴田義行」
○競泳男子100m自由形  胴メダル 「高石勝男」 
○競泳男子4x200m自由形リレー 銀メダル
「米山 弘」「佐田徳平」「新井信男」「高石勝男」
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