[82]オリンピックの日本の選手達(2)

2019年3月21日

第82回
■オリンピックの日本の選手達(2)
《第10回 ロサンゼルス大会 アメリカ》
昭和7年(1932)。此の年のロサンゼルス アメリカ大会には日本は「金メダル」7個、「銀メダル」7個、「銅メダル」4個の合計18個のメダルを獲得したように活躍しました。その中でメダルこそ手に出来ませんでしたが、伝説の選手がいました。それは・・・
○吉岡隆徳・・・
此の大会の陸上男子100mの決勝の舞台に、此の「吉岡」が居たんです。そしてロケットスタートで60mまでトップに立っていた吉岡は勝てるかも知れない・・と思ったそうです。だがそう思った瞬間に、うしろから風の音が聞こえて,敢えなく6位に終わってしまいました。前半はいつもトップでいながら後半には黒人や白人に抜かれてしまう。
結局日本人はチビなんだと。吉岡の165cm60Kgの躰では最後までスピードを持続出来ないんだ。と云っていたそうです。
しかしオリンピックの惨敗後も自分の生活活動のすべてを掛けて練習に励んだそうです。其の徹底した練習の態度は後世に残るような凄まじかったようです。
そして迎えた昭和10年(1935)10月17日に甲子園競技場で、関東・近畿・フィリピン対抗戦で100m決勝で「吉岡」は後半もタイムを落とすことなく10秒3の世界タイ記録をマークしました。「暁の超特急」と呼ばれて人気は頂点に立ったようです。
そして迎えた昭和11年(1936)のベルリン大会では、血染めのハチマキをして試合に臨み「神国日本」の英雄として出場しましたが、プレッシャーに負けて予選落ちしてしまいました。
○西 竹一・・・
此の人は明治35年7月12日生まれで、此の大会で「馬術個人大章典障害飛越」で「金メダル」を獲得した、日本で初めての馬術でのメダル獲得でした。当時陸軍中尉で男爵でした。そして日米の英雄に成って「バロン西」と云われましたが、のちに陸軍中佐となって陸軍戦車第26連隊長として最初は北満州の防衛に当たっていましたが、1944年に硫黄島へ赴任したそうです。そして硫黄島での戦闘で、終日敵を切りまくり、北部の断崖に辿り着いた時、米軍の降伏勧告「バロン西出て来て下さい」の言葉を聞いて、せせら笑って割腹自殺したそうです。
1945年3月22日42才でした。その後に一階級特進で陸軍大佐となりました。この人の生涯は栄光と悲劇を織り交ぜて今に語り継がれていると云います。
○河石達吾・・・
奇しくも前述した馬術の「西 竹一」と同じ大会に出場し、競泳男子100m自由形で「銀メダル」を獲得した「河石達吾」が12年後に同じ硫黄島の戦闘で戦死しているのです。
彼は明治44年12月10日に広島県東能美島の大柿村に生まれました。その後広島市内の修道中学に進学、この頃から二年後輩の「大横田 勉」「河津憲太郎」と水泳部で三羽烏と云われたそうです。此のロサンゼルス大会で「大横田」は競泳男子100m背泳ぎで「銅メダル」、「河津」は競泳男子400mで「銅メダル」を獲得しています。
修道中学を卒業した河石は慶応大学に進み、3年の時五輪代表に選ばれました。男子100m自由形には「宮崎康二」「高橋成夫」「河石達吾」の三人でした。そして昭和7年8月6日15時30分、水泳の2日目に男子100m自由形の決勝が行われました。日米三人づつの6人で争われましたが、50mのターンの時は河石は5位だったが、後半には宮崎と河石は順位を上げ、ゴール直前に一気に先頭に飛び出しました。
結果は「宮崎康二」が58秒2で゛「金メダル」、「河石達吾」は58秒6で「銀メダル」、「高橋成夫 」は59秒2で5位でした。宮崎のタイムは五輪新記録であり、河石のタイムは五輪記録タイであり、高橋のタイムは日本記録タイであったそうです。
その後故郷に帰り海軍兵学校や大同電力に入社したりして、水泳の指導をしていましたが、召集されて陸軍へ入隊し、広島歩兵第11連隊に配属されて中國に渡りました。そして5年近い軍隊生活を送ったのちに、陸軍少尉になって除隊しました。
そして電力会社に勤めて平和に暮らしていましたが、昭和19年6月に再び召集令状が来て、生家を出るとき「二度と生きては帰れません、後のことはくれぐれもよろしく」と兄嫁に言い残して出征したそうです。
そして7月3日付きで陸軍中尉として独立混成第17連隊に配属された河石は、7月10日に横浜の瑞穂埠頭から小笠原へと出発しました。更に連隊は二つに分けられ、河石の所属する第3大隊が硫黄島に配置されることになりました。
ここで河石中尉の運命が決まってしまったと思いますよ。昭和20年3月10日の米軍との死闘の状況はここでは省略しますが、第3大隊は405名居たそうですがこの日には10名しか居なかったそうです。攻撃した米軍も戦死者600名、重傷者1600名も出したそうです。良く5倍以上の戦闘に日本軍は戦いましたね。河石中尉も「3月17日硫黄島で戦死」と云う公報が届けられ陸軍大尉に昇進したそうですが、その最後は記録が無いそうです。享年は33才でした。
此のロサンゼルス大会でメダルを獲得した人達
○ 陸上男子三段跳び     金メダル  「南部忠平」
○ 競泳男子100m自由形  金メダル  「宮崎康二」
○ 競泳男子100m背泳ぎ  金メダル  「清川正二」
○ 競泳男子200m平泳ぎ  金メダル  「鶴田義行」
  注、前回のアムステルダムに続いての二連覇。 
○ 競泳男子1500m自由形 金メダル  「北村久寿雄」
○ 競泳男子4X200m自由形リレー 金メダル
   「宮崎康二」「遊佐正憲」「横山隆志」「豊田久吉」 
○ 馬術個人大章典障害飛越  金メダル  「西 竹一」
○ 陸上男子棒高跳び     銀メダル  「西田修平」
○ 競泳男子100m自由形  銀メダル  「河石達吾」
○ 競泳男子100m背泳ぎ  銀メダル  「入江稔夫」
○ 競泳男子200m平泳ぎ  銀メダル  「小池禮三」
○ 競泳男子1500m自由形 銀メダル  「牧野正蔵」
○ 競泳女子200m平泳ぎ  銀メダル  「前畑秀子」
  注、次のベルリン大会では金メダルを獲得した。
○ 男子ホッケー       銀メダル
  「浅川増幸」「猪原淳三」「宇佐美敏夫」「小西健一」
  「小林定義」「今 治彦」「酒井義雄」「柴田勝巳」
  「左右田秋雄」「永田 寛」「中村英一」「浜田駿吉」
  「広瀬藤四郎」「三浦四郎」    以上十四名
○ 陸上男子走り幅跳び    銅メダル  「南部忠平」
○ 陸上男子三段跳び     銅メダル  「大島鎌吉」
○ 競泳男子100m背泳ぎ  銅メダル  「河津憲太郎」
○ 競泳男子400m自由形  銅メダル  「大横田 勉」
注、河津と大横田は前述の「河石達吾」の二年後輩であると云う。
オリンピックの日本の選手達(1)
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