[83]オリンピックの日本の選手達(3)

2019年3月21日

第83回
■オリンピックの日本の選手達(3)

《第11回 ベルリン大会 ドイツ》

昭和11年(1936)ドイツに於いてベルリンでオリンピックが開催されました。此の大会は別名「ナチスオリンピック」と云われて居ますが、日本の選手は金メダル6個、銀メダル4個、銅メダル8個の合計18個のメダルを獲得しました。
中でも後世に残るのは当時のJOAKの実況放送をした「河西三省」アナウンサーの「前畑がんばれ」の絶叫でした。私も子供でしたがラジオから流れる此の声を聞いています。他のことは云わずに、それだけしか云わなかったような気がします。
オリンピック発祥の地ギリシアのオリンピアで採火した聖火をトーチリレーで運ぶ、聖火リレーと云うパフォーマンスを取り入れたのが此の大会が初めてであったようです。此の大会の参加国は49カ国、3980人、うち女子は328人でした。8月1日、12万人の観衆で埋まったベルリン近郊のグリューネワルトのメイン・スタジアムでのヒットラー総統の「第11回ベルリン・オリンピックの開会を此処に宣言する」との開会の言葉で始まりました。
日本選手団はズックの靴、灰色のズボン、紺のブレザー、灰色の戦闘帽と云う姿で、25番目に登場し、162人(うち女子17人)がヒトラーの前を入場行進しました。
○「前畑秀子」・・
8月11日女子競泳200m平泳ぎ決勝で、スタートからトップを泳ぐ前畑をドイツのマルタ・ゲネンゲルが激しく追い上げると云うレースの展開に、JOAKの河西三省アナが「前畑リード、前畑がんばれ、前畑がんばれ、リード、リード、勝った、勝った・・」と絶叫・・!!
これを聞いた日本国民は歓喜しました。実にスタートからゴールまでの3分3秒6の間に「がんばれ、がんばれ」を36回も連呼し、ゴールすると「勝った、勝った」を19回も連呼したのです。歴史に残る名放送と云えるかも知れません。
○「大江季雄」「西田修平」・・友情のメダル
棒高跳びでは史上に残る長時間の競技が続けられました。午前10時から始まった決勝で、4時間を超える戦いの結果、金メダルはアメリカのアール・メトーズに決まりましたが、銀・銅は午後10時になっても決まりませんでした。結局「大江季雄」が四歳年上の「西田修平」に2位を譲って決着しました。そして二人のメダルはその後に銀・銅を半分づつにつなぎ合わされたそうです。此のメダルが「友情のメダル」と云われて居ます。
此のベルリン大会でメダルを獲得した人達
○陸上男子三段跳び(世界新記録) 金メダル 「田島直人」
○陸上男子マラソン       金メダル 「孫 基禎」
○競泳男子200m平泳ぎ    金メダル 「葉室鉄夫」
○競泳男子1500m自由形   金メダル 「寺田 登」
○競泳女子200m平泳ぎ    金メダル 「前畑秀子」
○競泳男子4X200m自由形リレー 金メダル
   「遊佐正憲」「杉浦重雄」「田口正治」「新井茂雄」
○陸上男子三段跳び       銀メダル 「原田正夫」
○陸上男子棒高跳び       銀メダル 「西田修平」
○競泳男子100m自由形    銀メダル 「遊佐正憲」
○競泳男子400m自由形    銀メダル 「鵜藤俊平」
○陸上男子棒高跳び       銅メダル 「大江孝雄」
○陸上男子走り幅跳び      銅メダル 「田島直人」
○陸上男子マラソン       銅メダル 「南 昇竜」
○競泳男子100m自由形    銅メダル 「新井茂雄」
○競泳男子100m背泳ぎ    銅メダル 「清川正二」
○競泳男子200m平泳ぎ    銅メダル 「小池禮三」
○競泳男子400m自由形    銅メダル 「牧野正蔵」
○競泳男子1500m自由形   銅メダル 「鵜藤俊平」
此の大会の閉会の言葉で選手達は「また4年後に東京で再会しよう」と云って別れたらしいですが、日中戦争が激化してしまったので、東京オリンピックは幻となってしまいました。それからは第二次世界大戦が起きてしまいましたので、第15回は1952年のヘルシンキ大会まで開催されませんでした。
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