[135]松平晃(まつだいらあきら)

2019年3月21日

第135回
■松平晃(まつだいらあきら)
私らの子どもの時の流行歌手と言えば、前出の「上原 敏」と「藤山一郎」と此の「松平 晃」と「楠木繁夫」でした。少し遅れて「霧島 昇」など沢山の歌手がいますが、昭和12年頃以前は此の「松平 晃」の声も忘れられない存在です。
彼は明治44年6月26日に、佐賀県佐賀市の生まれで、本名は「福田恒治」と云います。小学校の頃から歌が好きで、佐賀中学校を卒業後音楽を志しましたが、旧家のために父親が大反対だったそうです。でも兄のとりなしで許可が下りたそうです。
そして単身上京して、昭和5年に武蔵野音楽学校に入学し、更に昭和6年に東京音楽学校の師範科に転学し、苦学をしながら声楽の基礎を学んだと云う本格的のものでした。
しかし、実家が破産して仕送りも絶えてしまったので、苦境に立った福田青年は、同校の先輩であった「増永丈夫」(注、後の藤山一郎)に相談しました。此の増永は将来を嘱望されていた人で、藤山一郎の芸名で古賀メロディを一世風靡させた歌手です。福田青年は此の増永の紹介でニットーレコードに入ることになりました。
しかし、他の歌手と違って活躍していた割には知名度が低いのです。それは芸名が常に変わっていたからだと思います。
最初は昭和7年に「大川静夫」を名乗って「夏は朗らか」と「讃えよ若き日」でレコードデビューして、その歌声に人気となりましたが、「池上利夫」「松平不二男」「小川文夫」「柳沢和彦」などの名を使ってニットーコード、ポリドール、キング、タイヘイ、テイチク、パルロフォンなどで吹き込みを続けました。
この中で昭和7年11月に「池上利夫」の名前でポリドールから発売された「忘られぬ花」がヒットしたと云います。
正式に「松平 晃」の名前でレコードの吹き込みを始めたのが、昭和9年にコロムビアとの専属契約が出来てからです。
此の「忘られぬ花」と云う歌は聴いたことがありませんが、此処に#1だけ歌詞を載せておきます。
  『忘られぬ花』昭和7年

  ♪ 忘られぬ 花のかおりよ
    そのかみの 君が面影
    ああ空(うつろ)なる 夢にも似て
    儚なきは 恋の運命(さだめ)か
    ああ・・・・・          ♪

昭和8年3月にコロムビアから「悲しき夜」「港の雨」が初めてでした。そして古賀政男の「サーカスの唄」が大ヒットして一気にスターダムに乗り上げました。
  『サーカスの唄』昭和8年

  ♪ 旅のつばくろ 淋しかないか
    おれもさみしい サーカスぐらし
    とんぼかえりで 今年もくれて
    知らぬ他国の 花を見た    ♪

此の唄は#4まであります。此の昭和8年には東京音楽学校で、レコードの吹き込みが問題となって、本人は流行歌手を選択して同校を中退しました。しかしこの歌はチンドン屋が盛んに奏でていましたよ。懐かしい歌です。
<続く>