[117]世相・戦争への道

2019年3月21日

第117回
■世相・戦争への道
昭和に入ってから世相は極端に悪くなって来たような気がします。次から次に起こったテロ事件、当時は国民が、いや日本そのものが貧乏でしたから、色々な不満が鬱積して事件が起こったのではないでしょうか?
今まで身近に起こっていた様々な事件を書いて来ましたが、世の中を覆すような事件の数々を纏めて認めておきます。筆者が幼い頃の話ですから、不備な点も多いかと思いますが記録して置くことは大事な事だと思いますね。繰り返してはいけないことも多いからです。
昭和2年に生まれた筆者が此の10年間に世を震撼とさせる事が起きていたとは、ハッキリと言ってよく知りませんでした。今まで書いて来た事は昭和12?13年頃までのお話ですからまだ筆者は小学校も卒業していません年代のお話です。
《三月事件》
昭和6年3月には未発に終わりましたが陸軍の中堅将校のクーデター計画がありました。橋本欣五郎中佐らの桜会の幹部が計画して、陸軍中央部の杉山元、小磯国昭、右翼の大川周明、社会民衆党の亀井貫一郎らが参画しました。
大衆のデモで議会を包囲して、陸軍を動員して浜口内閣を倒して宇垣一成内閣を出現させて、国内の改造を構想しましたが、計画の不備と宇垣の躊躇いから挫折し未発に終わった事件です。
血盟団事件
此の事件は前にも書きましたが、ここでは要点だけを再度書いて置きます。
これは右翼団体によるテロ事件です。井上日召を中心に一人一殺主義を唱える血盟団が組織されて、昭和7年2月に小沼正が民政党幹部で前大蔵大臣の井上準之助を、翌月菱沼五郎が三井合名会社理事長の団琢磨を相次いで暗殺し、日召ら3人は無期懲役となり、他は有期懲役となりました。次の同年5月の五・一五事件への口火になりました。現代の元総理の中曽根首相のプレーン黒幕であった四元義隆は此の血盟団事件に連座していた人です。
五・一五事件
昭和7年5月15日に起こった海軍青年将校を中心とするクーデター事件です。
前出の井上日召らと関係のあった海軍の将校が大川周明から資金援助を受けて、陸軍士官学校の生徒と協力して、首相官邸、内大臣官邸、政友会本部、日本銀行、警視庁などを襲撃して、犬養毅首相を射殺しました。一方、愛郷塾生の農民決死隊も東京近郊の変電所を破壊して、戒厳令を出させて、その間に大川周明らによる改造政権の樹立を企図しましたが失敗しました。しかしこれを契機として日本ファシズムが台頭することになりました。