男女において、自由度はどちらが高いといえるだろうか。女の視点にたつ今では、男は身勝手な動物であり、被害をこうむるのはいつも女ということになるだろう。いわゆる、悪の元凶は男にある、という風潮である。
おもしろいことに、昔は悪の元凶が女である、と思われていた。それも、年寄りの女が悪者にされた。
日本の昔話では、年老いた女の妖怪がよく登場し、ヨーロッパでも魔女といえば醜い年寄りの女というイメージが強かった。人々から忌み嫌われるのは、年老いた女だった。
自由度というのは、力関係とも一致しうる要素だ。かつて、自由な存在であったのは、まぎれもなく男の方だった。これに不満を募らせた女は、ウーマン・リブを展開させた。
当時の女の活動家が、不平等に思ったのも無理はない。彼女たちは、男が羨ましかった。男の持つ権利を得たいという願望が、運動につながっていった。
同じように、マンズ・リブが起こるとすれば、女への憧れと不平等感をいだくことによってだろう。だが今は、男が女に憧れたとしても素直になれず、むしろ男を非難することに転化する場合がおおい。女に嫉妬しているものの、やり場がみあたらない男がよくとる態度だ。このような表現方法は、けっして健全ではない。
ウーマン・リブによって、女はおおくの男の領域を手にいれた。自由を得られれば、元気も得る。自由を獲得し、元気を得るためにはそれなりの代償が必要となる。
今後、男が女の領域を獲得しようとする、マンズ・リブは、すでに微かながら動きがみられる。だが、ウーマン・リブのような大掛かりな展開にはならないだろう。昔の女のような抑圧がなく、男女の質というものも影響を及ぼしている。もちろん、男女の優遇の差がさらに開けば、マンズ・リブはそれだけ盛りあがる。ちょっとした、社会現象ぐらいにはなるだろう。
これには、時間がある程度かかる。繰り返し、訴えなければならない。この世の概念や常識は、繰り返されることによって固まった。人には個性があるというが、これも人が自分のことをどのように思い込んだか、そして思い込みを何度繰り返したかによって固まったに過ぎない。
トラウマは、衝撃的な体験によってもたらされるが、これも実際に傷をのこすのは繰り返すことによってである。衝撃的な体験は原因であって、傷の正体ではない。傷は、衝撃的な体験の影響から逃れられず、繰り返し自らのなかに幻想を生み出すことによって発生する。
社会も人の心も、繰り返すことによってできている。ウーマン・リブも、繰り返し述べることによって成功した。マンズ・リブの成功には、根気が条件となる。
椎名蘭太郎