男女の体格差はあるべくしてある。
男は、外敵との戦闘要員であったのだから、当然、体がおおきくなる。ただ、それでも猿人や原人のころと比べれば、男女の体格差はかなりちいさくなった。
外敵と戦う機会がほとんどなくなった現在、戦う肉体は意味をなさなくなった。我々は、つねに現在に必要なかたちへと変貌をとげていく。
今でもおおきい者、背の高いものに人々は憧れるが、それは長年の弱肉強食時代につちかった、「身体能力の強さ」への憧れにほかならない。
これらの憧れは、子供っぽく野蛮ではあるが、強いほうが生き残れたんだ。当然のことじゃないか。
とはいえ、いつまでもこの状態は続かないよ。今後は省エネで、効率がよいものが好まれる。人はすぐに変われるものではないが、それほど遠くない将来は「おおきければ良い」という発想は徐々に薄らいでいくだろう。
そもそも男女の場合、いや人に限らず、原形は女の側にある。男は、女の変形タイプといっていい。遺伝子は、常に複製をつくる側に原形をおくのだ。
男は、女の複製をサポートするための存在ともいえる。遺伝子の見方にたてば、女は道具であり、男は道具の道具となる。
そもそも男は、変形であるがために、どうしても生命力が乏しくなる。不安定なのが避けられないのだ。
男が女より勝っているのは、外からの肉体的な攻撃と防御となるわけだが、それらは今ではあまり意味をなさなくなった。むしろ、
今の時代に必要な、肉体面での内なるタフさや精神的なタフさにおいては明らかに女のほうが勝っている。
肉体面や精神面で女がタフなのは、彼女たちの生命力が旺盛なためだ。もちろん、ただ強ければよいというものでもない。男は、生命力が乏しいがゆえに繊細さを持ちえたといえなくもないのだ。
また、女の肉体の特徴といえば「子宮がある」ということになる。女は男より、繊細な部分がおおいが、そのおおくに子宮に支障をきたさないための防御が関係している。
このように男女の質のひとつにさえ、そこには必ず原因があるのだ。
男女の肉体的な異なりは確かにおおきいが、その差はおそらくどの分野でも縮まっていくだろう。なぜなら、今は男女ともやることに大差がなくなってきているからね。
両者の差がなくなるのでは困るという者もおおいだろうが、男女の性差をしっかり保つなら、その目的に添うにはひとつしかない。
男女のしきたりをはっきりさせ、それにそって行動させるべきだろう。その慣習やしきたりによって、男女の性差があらわれてくるだろうからね。
現在、男女の性差がどのくらいあるにせよ、環境のちからはおおきいよ。
椎名蘭太郎