結婚ってなに?
どんな意味があるの?
それは幸せの羅針盤?
それは人生の墓場??
そもそも結婚って? 結婚ってなに?
今や、世界中でこのシステムが採用される。
無限の可能性があったはずが、男女一対一のかたちに。
それは強制?
それとも祝福?
今では結婚は――そのかたちは不動のものとなった。
疑うことなく。
考えることなく。
でも、よくよく思い返してごらん。
結婚を――我々の結婚をね。
そこになにが見える?
どんなものが蠢いている?
それにしても、人の欲望とは如何なるものだろうね。どこまで続いていくんだろう。
結婚のシステムに翻弄さえされなければ、すべてを愛せるのに。そこに垣根はなくなるのに。
もし、あなたが結婚のシステムに占拠されたら、あなたは縛られる。
昨日とおなじ人が今日もいる。自然にいるのではなく、決まりによってそこにいる。
あなたは愛さなくてはならない。どうあっても愛さなくてはならない。
明日も、その次の日も、命あるかぎりね。
そこにあるのは愛でなく、強制であることをどこか感じながら。
だって、そうじゃない?
愛は、ただそこに在るだけのもの。
自然発生するもの。
そこに、人為的なとり決めが必要だとおもう?
結婚のシステムは、いうなれば生活の効率をあげるためのもの。
共同体というべきもので、国が最大の単位なら、結婚は最小の単位となる。
結婚は、効率よくするための一つの技術であり、他人と他人が共同体をむすぶ儀式でもある。
でも、愛はいかなるシステムも、儀式も受けつけないんだよ。
それは生身の生き物。
それは純粋。
そこに取引はない。
結婚と取引したあなたは、世界の半分の人と愛し合うことができない。昨日まで可能だったことが、もうあなたにはできなくなる。
あなたは自分で作りあげた、否定の概念によって、当然のごとく自分を縛ったのだ。
バカげた話だが、結婚を信仰する人々にとって無条件にそうなる。
冷静に、物事をとらえさえすれば笑い話になるようなことを、彼らは平然とやってのける。
じゃあ、彼らはどうしてそうなったの?
どんなカラクリに引っかかったの?
人の心のなかに根強くはびこる独占と安定の欲。
この二つに憑かれた者は、どうしようもなく結婚にはまっていく。
結婚するのはかまわない。そんなことはどうでもいい。結婚が悪いはずがないのだから。なにより結婚は、人間関係を学ぶには最大のちからになる。
ただしだよ、理解するんだ。もしあなたが結婚のカラクリを見破るなら、結婚しようがしまいが、関係ない。
ただ、知ればいいだけのこと。結婚は取引であり、絶対ではないとね。それは有益になるが、縛るものにもなりえることをね。
それに独占欲と安定欲に捕われたなら、日々、活力はうしなわれるよ。
なにかに固執して、安定を得たとしても、本当にエネルギーが生まれるとおもう?
むしろ、その安定があなたを内から引き裂いてしまうよ。
同じ状態では腐ってしまう。離婚せよ、といっているんじゃないよ。そこに新たなちからを、なんらかの命を吹き込まなくてはならない。
そもそも結婚は、ひとつのパターンなんだよ。それはおもしろい発想ではあるが、バカげたものでもある。
世界の人々が熱病のように罹る、そのパターンをよく見てごらん。
世界には逆説的なことが実におおいよ。安定をもとめれば沈み、危険に飛び込めば活力と真の安らぎが得られたりとね。
これもまた、安定と危険のシーソーなのかもしれないね。
椎名蘭太郎
カテゴリー: 男と女のシーソーゲーム-椎名蘭太郎-
男の世界は終焉したのか?それとも一時的なものなのか?人類が生まれ、男と女が存在し、何万年もの間繰り返してきた男と女のシーソーゲーム。椎名蘭太郎が語る男の精神解放と女の駆け引き、そして本当の男女のあり方。
[22]無限のソフト
本当は男女はない――と私は言い続けたかもしれない。ない、ない――とね。
でも、勘違いしてはいけないよ。
それは男女の否定なんかじゃない。しがらみの否定なんだ。
子供を見てごらんよ。あなたがうんと小さかった頃を思いだしながらね。
そのとき、あなたは幸せじゃなかったかい?
きっと、あなたは幸せだったよ。
無邪気に笑い、無邪気に怒り、無邪気に泣いた。
あなたを縛るものはなかったからね。
そこには、何のしがらみもなかった。
いつしか、時間がずいぶん流れてしまったね。
おおきくなったあなたは言うだろう。
仕事をしなくちゃ。結婚しなくちゃ――と。
なぜ?
なぜ、しなくちゃいけないの?
仕事をしなくても生きていけるなら、しなくてもいいじゃない?
結婚しなくても平気なら、それでいいじゃない?
やらなくちゃ、こうであらねば――とあなたは言う。悲しいまでに言う。
いつから? どのくらいから、そんなになってしまったの?
男であってもいい。女であってもいい。結婚しても、仕事をしても――。
でも、あなたはあなたであるべきなんだよ。あなたは、自分の主人であるべきだ。あなたしか、あなたの主人でいられないんだから。
男であるとか女であるとか、結婚するとかしないとか――それは道具にすぎないよ。単なるソフト。
ソフトに使われてはいけないよ。
あなたがソフトを使うんだ。
あなたが主となってね。
そしたら道具が活きてくる。無限のソフトが精気を帯びる。
でも、あなたがソフトに使われたなら、そのときはNG。あなたは道具そのものになってしまった。
我々は、いずれ子供から大人になる。重い道具をたずさえ、思想や道徳にがんじがらめにされながらもね。
今やあなたは立派な大人の男となり、女となった。それにしても、なんと男らしく、女らしく振舞うようになったのだろう。
道具は、道具としてあっていいよ。道具自体には問題ない。それはかまわないよ。
でも、あなたは? あなた自身はどこへ行ってしまったの?
椎名蘭太郎