女が男の真似をすると、普通、カッコイイとなるね。でも、男が女の真似をした場合はキモチワルイとなる。
これはどういうことだろうね?
美優醜劣――この言葉を辞書でしらべても見つからないだろうよ。
なにしろ造語だからね。読んで字のごとく、美しいものは優れ、醜いものは劣る――となる。
先進各国は、この美優醜劣に突入しているのではないか。男女間において、女が優位にたち、パワーが男から女へシフトしている。
そうだとすれば、どこに要因があるのだろうか。
もちろん、これまでだってパワーの所在が一定ということはありえなかった。それは確実に、気まぐれに移りかわっていった。
日本において、バブル期より以前はまだ男にパワーがあった。当時の男のパワーの拠り所は、腕力であり、武力であって、それを盾にした権力と伝統であった。
つまり、弱肉強食の要素がまだ残っていた時代とみてもいい。外見の美しさは、その次にパワーを持ちうるもので、弱肉強食の時代には腕力にかなうはずがなかった。
美しさは万人から愛されただろうが、どうしてそれだけで武力に勝れただろう? 腕力や武力をもち、それによる権力を得たならば、簡単に美しさを支配下に収められたのがそれまでの時代だった。
たが、やはりパワーの所在が一定などということはなかった。文明が発達し、法が整備され、なにより人々の思想が円熟味をおびていった。豊かになるにつれ、弱肉強食的な行為を排除する方向へとすすんでいった。
転換期となったのが、19世紀のヨーロッパだった。この地でフェミニズムの動きがみられたのだ。文明がたかまり、それによって人々が様々なことを考えるだけの余裕ができた。
このヨーロッパ文明をなくして、今の女の地位をかたることは到底できなかったはずだ。
フェミニズムをバックボーンとして、男女差別が批判されるようになり、やがて女性解放運動がさかんに行われるようになった。
日本でも女性解放のうごきがみられ、成果をおさめたが、彼女たちを支援する時代的要素を見逃してはならない。いや、そういった背景があったからこそウーマン・リブが可能となったのだ。
何者かの地位があがるときは、パワーの転換がおこっている。女のパワーが増した背景には、社会において、「平和」「安定」「豊かさ」――のキーワードがまぎれもなく関与している。これらが満たされると、女のパワーが高まるとみていい。
女は、男よりも美しい。彼女たちの美しさがもっとも発揮できるのは、動乱でも貧しさでもなく、社会が安定したときである。そのときこそ美しさが武器となり、パワーを発揮してくれる。逆に男は、不安定な動乱の時代にこそ、彼らの特徴である腕力を発揮できたわけだ。
これらの時代的背景は、男女の力関係をみるうえで、おおきな秤となってくれる。そうであるとすれば、女の地位と、社会の豊かさや平和の関係を調べてみるのも面白いだろう。
日本の昭和後半から平成にかけての時代は、まさに平和と安定、それに豊かさを享受する時代ではないかね。
椎名蘭太郎
カテゴリー: 男と女のシーソーゲーム-椎名蘭太郎-
男の世界は終焉したのか?それとも一時的なものなのか?人類が生まれ、男と女が存在し、何万年もの間繰り返してきた男と女のシーソーゲーム。椎名蘭太郎が語る男の精神解放と女の駆け引き、そして本当の男女のあり方。
[32]男の精神解放 五.
「魅力」をかんじる感性は、誰にでもあるね。
それに個々が魅力というばあい、それに対応する尺度があるよ。人は、社会のなかで生きているのだから、当然、社会全般の尺度に染められている。
また、個々のかんがえる魅力といってもかなり曖昧だよ。美しさや強さとなれば多くの人が認める魅力であるが、実際の美しさや強さの具体例となると、皆、異なってくる。
これらは、個々の好みとしかいえないからね。
ただしだよ。社会的な尺度となると、多少、形がみえてくる。ぼやけてはいるが、共通認識という尺度がそこに姿をあらわす。
これが他ならぬ道徳となり、敷いては規則や法律へと姿を変えていくものだ。こうなると、もはや個々の好みでは済まなくなる。
さて、現代社会の尺度からいえば、「魅力」にたいする美しさの比重が総体的に増しているよ。つまり、現在の尺度によると、美しさをもつ人々はかなりアドバンテージをもって生まれてきたといっていい。
例えば、同じ仕事をしたとしても、評価されるのは美しさを持った者のほうになる。それどころか、美しさを持っているだけで、一つの仕事をすでに成し遂げてさえいるだろう。
現在は、美しさの力を存分に発揮できる環境下にある。これが、女の時代をおおきく下支えする要因であることを忘れてならないよ。
さて、ここでも問題は男であるわけだが、あなたたちは本当に今の社会の現状を認識しているかね?
今の社会の尺度によると、男はすなわち「悪」であるという立場にある。少なくとも、そういった傾向にある。
男がどうこうというより、初めから男が悪いという結論がすでに用意されている。生まれながらにして彼らは、悪のレッテルを貼られているわけだ。
それというのも、あなたたちが怠ってきたことに原因があるよ。
だって、本当に見た目はよくないし、臭くだってある。
見た目が悪いなら、せめて工夫をしてみるなり、臭かったら香水を使ってみるなりしたらどう?
女はやっていることだよ。むしろ、能力のひくい男がどうしてやらないの?
だって、誰しも臭いのは嫌だし、汚いものは避けたいもの。それらは、ほぼ共通認識だよ。
どうして劣勢なあなたが、社会的評価を高める努力をしないのかね? そもそも、ほとんどの生物の男女(雄雌)は、劣勢なほうが綺麗だよ。
当たりまえだよ。劣勢だからこそ、異性に気に入られようと綺麗になるんだから。雄のほうが綺麗な生物もおおいが、彼らは劣勢だからそうなったんだ。努めたんだ。
劣勢に転じたあなたが、そこで怠けてどうするの?
それともこの期に及んで、まだ男はそんなことをする必要がない――とでもいうのかね。あなたがたの社会的評価が低いのも、そもそも誰のせいでもない、努力もせず、主張もしなかった当然の帰結なんだよ。
どう? 少しは勇気を出してみない?
椎名蘭太郎