男は、ある種、集団で強迫観念にかかっている。
ほとんどの男は、みずからの不器用さにみずから首を捻るが、それでいてそれを仕方ないもの――と思い込んでいる。男がそろってそうあるために、そう思い込むのだろう。不器用なのが、男の性とね。
しかし、男の病とはたいしたものだよ。
会社のデスクに陣どる、難しい顔の課長をみてごらんよ。
彼は言葉すくなく、笑顔もほとんどない。男の性といえば、こんな小難しい人間のすがたが頭にうかぶよ。
彼は、なにを考えているのかまったく分からない。なにしろ、しかめっ面以外は感情を表にださないからね。
このような人物を、いったい誰が愛せるね。妻や子供からうっとうしがられるのも無理はないよ。
無論、家族だけでなく、これらの人種は世界中の誰からも愛されない。愛されるはずがない。
なにより、こんなのは本人が一番嫌だろうに(笑)。
彼はある意味で、センチメンタルといえなくもないが、もうそろそろ不幸の構図から抜け出したらどうかね? 保証してあげるよ、あなたは不幸の湧きでる壺のなかにいるとね。
一昔前は、「男は度胸、女は愛嬌」といったが、今や女は、度胸も愛嬌も兼ねそなえたよ。みずからの力で、彼女たちはそれを手にしたんだ。
男もそろそろ、多少は愛嬌の術を身につけたらどうかね?
自分の力でしか、不幸をぬけ出す方法はないのだからね。
染みついた習慣を洗いながすには、多少時間がかかるだろう。
あなたがたの男らしさは、絶えずかっこよさを要求するし、堂々としていることを見せかけようとする。自分すらうまく表現できないのに、表面上をとりつくろうとね。
それより、仮面を脱ぎすてたらどう?
あなたは自分らしくありさえすればいいんだから。それほど難しいことではないよ。
本来、トータルなあなたは、男らしいところも女らしいところもあるはずだよ。もし、今のまま変われないというなら、もちろんそれはどうしようもない。
ただ、あなたの奥深いところではわかっているはずだよ。自分には男女両面あるとね。
あなたのなかにしか、どんなときも、どのようなことも真の答えはないのだからね。
あなたはあなたの信じたことをやればいい。その信じたこと、それこそがほんとにすべてだよ。
椎名蘭太郎
カテゴリー: 男と女のシーソーゲーム-椎名蘭太郎-
男の世界は終焉したのか?それとも一時的なものなのか?人類が生まれ、男と女が存在し、何万年もの間繰り返してきた男と女のシーソーゲーム。椎名蘭太郎が語る男の精神解放と女の駆け引き、そして本当の男女のあり方。
[30]男の精神解放 三.
男は遅れている――と何度も言ってきたね。
だとすれば、男は遅れをとりもどし、既成概念から解放されなければならない。これを書く、理由の一つがそこにある。
男が美しさをめざす――ということも実はおなじこと。
彼らが美しさをめざすようになれば、すでにその時点で精神解放は終わったとみていい。ほとんどの問題は、それで解消されることだろうからね。
現代は、ほんとうに見た目が重要な時代だよ。日本ばかりでなく先進国ではね。それがなければ物事がうまくすすまないぐらいだ。
それに、男が美しさをめざすほどに素直になれたら、その時点でここで書いていることも意味がなくなるよ。力関係にしても、男が重くなることでバランスがとれるようになる。
でも、勘違いしてはいけないよ。男の支援をしているからって、女と敵対しているわけじゃないよ(笑)。
ただ、現状のバランスからいえば、男のほうが支援を必要としている。それこそが重要なことだからね。
さて、それにしてもやはり男は遅れているよ。なにより精神面で遅れている。
最大の理由は、「男たるもの・・・」的な発想がまだ生きているところにある。
子供の頃からそれを聞かされ、繰り返されたことによって、そう思い込み、彼らはまさしく「男らしくあらねばならない」という脅迫概念によって占拠されてしまっている。
男の場合、まだ昔ながらの概念が生きている。もちろん、それには理由がある。
すべてのことには原因があるが、男らしさの概念が生き長らえていることに関しては、男らしさの概念そのものに生き長らえるためのエッセンスがある。そこを見逃してはならないよ。
考えてごらんよ。男らしさというのは、あまり言い訳をしない。クドクドと話さない。見方によれば、自己主張をあまりしてはいけなくなる。
ここにすべてのトラップがある。物事を変えるためには、主張しなければ変わるはずがないよ。どうやって変われる。それが、彼らの古い因習にしたがえば、その変える力の根源を否定されていたんだ。
これでは変われないよ。頭が固くなるのもしかたない。言い過ぎることがいいはずがないが、少なくとも日本の男の場合はあまりにも胸のなかにしまいすぎるよ。少なくともあなた達の場合には、もっと主張して、自らの立場を変えていくべきだよ。
あなたたちは今、非常に軽んじられているんだよ。オヤジ、オッサン――というのは今や普通の呼びかたになろうとしているが、これは相手を軽視する呼び方だということを忘れてはならないよ。世の中全体が、男を軽視する風潮が生まれていることをね。
それが証拠に、女にむかってオバンと言ってみるかね?(笑)。きっと笑えないよ。
自らの地位は、自らが変えなければ良くなるはずがないよ。
椎名蘭太郎