[031]エイグ・モルト その2

この町を一気に見たいのなら城壁の上と下を徒歩で周る事です。城壁上の遊歩道へ行くにはコンスタンスの塔の入り口にて入場料5.50ユーロを払ってから。塔の入り口側右には階段が、更に奥に入っての右側にはエレベーターがあり、それぞれ展望台へと行きます。絶景を楽しんだら地上へ戻り、別の上り口から城壁の遊歩道へと行きます。
コンスタンスの塔の当初の使用目的は灯台でした。1234年のナントの勅令で信仰の自由が見とめられ、プロテスタント派に市民権が与えられました。そして 6つの領土がプロテスタント派領土となりその一つにはエイグ・モルトがありました。しかし、後の太陽王ルイ14世の中央集権の政策目的で勅令が破棄されプロテスタント派信者は再び迫害されたのです。そしてこの塔はカトリックへと改宗しない信者を投獄し、後に女性信者の監獄となりました。


ここに収監された女性信者の中で最も有名なのはマリー・デュランです。牧師の娘として生まれた彼女は改宗しなかったため15歳で投獄され、後のフランス革命後に釈放されるまでの38年間という膨大な月日をここで過ごしました。この塔の中に彼女が書いたと思われる言葉、 Resiste 抵抗せよ!に15歳の時から好き放題に生きている自分との差を思い胸がつまりました。
ここでちょっとご説明をカトリック司祭は神父、英語ではファーザーと呼ばれ生涯独身ですが、プロテスタント司祭は牧師、英語ではパスターと呼ばれ結婚して家庭を持ちます。宗教改革はドイツのマーチン・ルターやフランスのカルヴァンにより始まり、カルヴァン派をユグノーと呼んでいたのでこの宗教戦争はユグノー戦争とも呼ばれています。
遊歩道からの眺めを堪能しながらじっくり歩くとゆうに1時間かかります。でも地中海とこの町の日常生活もよく見えるのでじっくりとゆっくりと。ここからはカマルグを有名にしている産物の一つ、塩田、塩山が見えます。7月頃には製塩工程のため水が赤くなっていました。コバルトブルーやエメラルドグリーンの海は知ってますが、ルビーレッドの海を見るのは初めて。
後にセートに大きな港が出来てからエイグ・モルトの港としての利用価値は薄れ、塩田と製塩が主要産業と変わりました。そのため城壁内にある家屋はその殆どが製塩工場従事者だったため一軒、一軒がとても小さく密集しています。今日では家屋の壁が破られ2,3軒を1軒としてホテルやレストランとなっています。城壁の遊歩道からはそれがよく分ります。
夢路とみこ