[223]女として、凛として

90年代の金融業界は男性社会だった、女性がディーリングルームで相場を追いかけるのはまだまだ少なく女が女であってはならないような雰囲気がありました。私の先輩達は長く美しい髪をシニヨンに巻き上げ、しなやかな鶴の足をパンツスーツの下に隠し、唯一女性らしさを覗かせていたのは遠くからでも聞こえるハイヒールの冷たい足音だけ。
男性と同等の立場を求めてアメリカ女性はパンツルックで、シンプルだけどシャープな装いを好む。男性より1歩も2歩も後ろに追いやられながらも自由を求めて日本人女性はパステルカラーなどのしなやかなイメージでしっかりパンツルックを決める。しかし、ここフランスでは全面的に女を出した者が勝ちとでも言わんばかりのセクシールックに人気があるようだ。
まずは装い、次は態度。独立した大人の女を演出するアメリカ人、控えめで忍耐強いイメージが濃い日本人、聖女と悪女の顔を使い分けるフランス人。どれを取っても皆可愛い女であり、男社会にもまれながらも巧みに泳いでいる人魚たちなのである。
先のパリ郊外で開催されたジャパンエキスポのような日本を紹介するイベントにも表されるように、海外から見た日本は、私達の想像をはるかに越えた極端さがある。フジヤマ、芸者、クロサワムービーとレトロなイメージもまだまだ拭えてないけど、その反面、コスプレにマンガ、私も日本ではそれほど聞いたことないような、テクノ音楽とかなり飛躍している。
この両極端のイメージの中、在外日本人女性の私達はどこに自分のアイデンティティーを置くべきか。レトロなそして幻想の世界のままにかぐや姫か、それともウルトラモダンにコスプレもどきでシャンゼリゼを闊歩するか。その答えをリヨンにいるとある女性の生き方に私は見た。会社のリヨン支店を任され自宅件事務所を一人で切り盛りするその人。日本にもフランスにもなびかず、自分を確立し、押しつぶされそうな環境の中、中立であろうとする。女として、凛とするその姿はとてもまぶしく、そして同じ海外に住む同胞として誇らしくも思う。
彼女はリヨンという町を愛し、この町の素晴らしさをブログで伝える。その熱意、シャポーもんです。
夢路とみこ

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