日本では当然の慣わしの如くある「同僚とのお付き合い」これは良しに悪しきに大事な事。社内での関係を円滑にするための潤滑油みたいなもん。日本にいた頃これを煩わしいと思った時期もあったけれど、今、海外で仕事をする上でこの大切さがよく分かるようになった。孝行したくても親はすでになし、という皮肉と一緒で、付き合いたくても今は一人でSOHOしてるから同僚はすでになし。個人主義の国というと私たちはすぐに米国を想像してしまうけれど、フランスの方がもっと徹底している、というか彼らの頑固さは妥協とか協調とか知らんのかと言いたくなる位に個人が孤立している気がします。だから、定時になると仕事があろうがさっさととんずら。
私がこれまで働いた海外の国々では仕事があればたまにだけど残業するし、帰宅前にちょっと一緒に一杯なんて事も。しかし、つい最近までの同僚がいた頃には終業後に一緒に飲む、週末に出かけるなんてのは殆ど皆無に近かった。フランスにはそんなものないのかもしれないと信じてた。しかし、最近になりばらばらに再就職した元同僚たちから終業後にご飯一緒にどうコールが入ってくる。そして世間話をしたり、美食やワインについてお喋りを楽しむ。なさそうであったよ、同僚とのお付き合い。元同僚だけど、嬉しいかなお付き合いがある。
[150]上質のサービスとは?
サービス業に従事する者として自らが顧客となりその対価を受ける立場にたつ時、感動、反省及び非難と様々なことを学びます。特に問題に出くわすと「どっちが客か?客は神様ではないにしろ、対価に見合う扱いを受けるべきではないか」また、「安かろう、悪かろう」で諦めるべきかと悶々すること。
日本のサービス業に対する概念「お客様は神様」は消滅したと日本へ帰る度に思います。「神様扱い」というのは大袈裟だしちょっと緩和すべきだと思ったりもする。しかし、お客様と従業員は対等ではないという事を忘れてはいけないのでは?お客様はお金を払ってサービスを受ける、そのお金は私達の生活に直結している事を忘れてはいけないのでは?しかしお客様への過剰サービスも問題あり。従業員は補佐であり奴隷ではないのですから。過剰要求に対して無理である事を理解してもらう、あからさまに客の誤解である時それを冷静に対処し相手に気付かせるなどの努力が必要なのでは。