パリに来てしばらくは語学学校に通っていたけれど、仕事が忙しくなるにつれて時間が取れなくなり、最近は全く行ってません。幸いなことにフランス人ビジネスマンと同居しているからビジネスレターを書くのを手伝ってもらったり、翻訳で理解できない部分を教えてもらったりとしているけれどやはり早く時間を調整出来るようになって語学学校に戻らなければ。自宅勤務だから会話も少なく、テレビやラジオでヒアリングは何とかなっているものの英語ぺらぺらの同居人だから苦し紛れに英語で逃げるという悪習慣を最近は責められる事も。
機会があってパリ大学の日本語講座にボランティアで行ってみた。どこの国でもそうだけど、日本語熱のある人はさまざまな理由でそれを学習する。一番多いのは大和撫子とのロマンスだけど、漫画に影響を受けた人もいれば、対日ビジネスを目指す人も少なくはない。
驚いたのは、2年目と3年目のクラスに参加したときのこと。2年目でもしっかりと教授の話す日本語をきちんと把握していること。漢字を含んだテキストを読んだり、会話の相手をしたフランス人学生は私が喋る日本語をやはり漢字もきちんと書いているではないか。私は通算で多分10年以上はフランス語を勉強しているけど、彼らの2,3年のレベルには程遠いと感じさせられた。3年生のクラスに至っては日仏電子辞書なんか持っている学生もいて、日本語でそのまま引いていた。まるで私が普通に電子辞書で漢和辞典や国語辞典を使うように、驚くばかり。私もフランス人が一般的に使うラルースの百科事典みたいなものを家で使うけれど、そんなすらすら引いて理解出来るにはあと何年かかるものか。
私も昔は海外での日本語教師になることに憧れた時期があった。だから海外を目指したという理由にもつながる。でも、実際にそれを職業としている人たちと接すると太刀打ち出来ないと思う。特に私のような気が短くて忍耐力がなくって、思ったことは少々乱暴な言葉でも吐き出してしまうような性格には向いてないと思う。外国語が出来るから日本語が教えられるというのは、あまり正しい解釈ではない。外国人に日本語だけで日本語を教えるのは相当深く日本語を理解していないと出来ないことだと思う。
パリ日仏協会のオフィスの掲示板で見つけたこのボランティアの件、すごくためになった。このような機会を経て自分の語学力に渇を入れることは大事なことだと思う。頑張ろう!
[108]語学学習、継続は力なり
夢路とみこ
[218]私のわらじは多足かな(2)
ディジョンで船の仕事だけをしていた頃は多足だった。マーケティングからクルー業務まで一括してこなす能力を求められた。5年半の間に得たさまざまな経験と学習がパリに来て仕事の幅を広げる機会をもたらした。
パリに出て来て、まず勤務先の船会社が変わった。元の古巣に戻り、昔の上司と仲間達と一緒に一旦倒産した会社の建て直しに関わっています。新しい雇用条件はかなり厳しい。最低賃金と歩合のみ、この給料ではパリで家賃さえも払えない。パリで追加に別の仕事をしたいけれど現在保有の労働許可証がブルゴーニュ限定のため、パリの企業では就職が出来ない。上司は何度もパリに来て労働局と掛け合ってくれ、会社の弁護士も動いてくれたけどEUの拡大で移民が多すぎるパリでは許可証の書き換えが不可能に近い。
もう駄目だ、と思ったときに縁があって日本の食品輸入会社の仕事を手伝うことになる。ここの社長とは数年の付き合いで、私が大食漢で多少なりにも食材に関する知識があることに興味を示してくれたようだ。船のシェフとは仲良しでいつも料理や食材について教えてもらったことが幸いしている。その仕事のためにチーズを探したり、生ハムを試食しまくったりと貧乏ながらにも美食に預かれる。この社長の好意でブログをもたせてもらうことになりました。ブルゴーニュ通信局が文章でフランスの魅力を紹介なら、こちらは写真中心で魅了します。私はカメラ小僧でデジカメお嬢。事情があって来たくても来れないフランスファンのために、本通信局と私のブログ「西欧食文録」で私のご近所さん気分を味わってもらいます。
そして、ブログはもう一本。こちらは仕事の延長にある訳でなく、単にサイトオーナーのご好意のみ。福岡にある輸入雑貨店でフランスに精通している方がフランスの地方の魅力をブログにしないかとお誘い頂き、プッツン、プッツンと入稿に切れ間があるけれどもこの国の魅力をもっと掘り下げて、さまざまな視点から紹介しています。
今は船の仕事、食の仕事、ブログのライター、旅行企画手配、現地アテンド、アパルトマンホテル等のマーケティングと「多足」どころか「タコ足」状態。全ての基本が「フランスが好き」にあります。
フランス便り
私のわらじは多足かな
夢路とみこ