レストラン側にとって団体というのは有難くともそうでない場合もあるようで。ツアー団体だと定期的に一定の予算で来るから単価を下げても安定した利益になるから有難い客、しかし個人旅行の少人数団体となるとある意味ではやっかいなお客様とも取られるみたい。
ある日の異業種交流会、エクスパット・パリのイベントで食事会を企画。お店の方に「10名で食事したいんですけど」と申し込んだところ、先方からは「女性ばかりじゃ私ダイエット中なのと言ってかっぱ巻きだけ注文する人ばかりじゃないでしょうね」と冗談交じりの笑い声を聞きました。
私達はつとして「~してあげてる」という感覚を持ち易いですよね。皆で「食べに行ってあげている」とう感覚が。しかし、お店にとっては一人30ユーロの食事を10名で300ユーロにしても、2人で一人50ユーロ位の方が正直なところ有難いのです。10人だと長居するし、2人だと長居しても他のお客様が8名の席を埋めて回転さえてくれれば、300ユーロ以上の利益になります。材料の仕入れ、従業員の給料などを考えたらお金を落とさないリピーターや団体よりも、一元さんでも食事が気に入って口コミで宣伝してくれる個人客が好まれるのかもしれませんね。
これについてはショッピングについてもしかり、日本人買い物客はすぅ~と入ってきて、ボンジュールもなしにただ眺めて、触って、静かに消え去るのがつまり失礼な人という印象が残るようです。これに更に輪をかけてすごいのが団体。シャンゼリゼやオペラ界隈のブティークやデパートの中で「XXさん!こっちこっち、ほらこれよ」なんてフロアー中に響き渡る様な声を上げているのはツアー、個人共に複数で来ている人たち。高級ブティークの品が落ちる。
それは日本人スタッフを相手に値下げ交渉やサービスに対する不満をぶつけているひともあり、これも頂けませんね。以前にも「伝言者を撃つな」で説明したように、私たち現地スタッフに出来ることには限界があります。ロボットじゃないのでお客様とはいえども早々言いなりになる訳には行きません。サービスに対する報酬を貰って始めてその人はお客様になるのであって、聞くだけ聞いて品定めして去ってゆく人はまだお客様ではありません。お客様になってない人から「私はお客様なのよ」という威圧的な態度で来られてこちら側の反応が硬直し、返答が無味乾燥なのは仕方ない事なんですけど。
夢路とみこ
[290]甘えに対する反動
とある観光地のとあるレストラン。観光シーズンオフの冬に行った時はこんな時期に来てくれたというような歓待の雰囲気に溢れ、そのお店のお勧め料理を注文したら稀にに見る美味しさ。その後、その地でお祭りがあり再び行ってみて冬に頼んだ同じ料理を注文したら、混んでいたせいかかなりの手抜き料理にびっくり。お祭りだし、一元さんだし、ほかにまともな店もなく、お惣菜屋とかパン屋ばかりだから否応なしにこの店にまともな食事を求めて集まり忙しくなるのは分かるけど。でもそれってがっかり。あの冬の訪れで食べたあの味を求めて戻ってきているのに。忙しいのを理由に劣化するなんて。観光地=ご飯がまずいの典型。観光客に甘えてとしか言いようがない。
「甘え」と言えばそれは観光で来仏する日本人にも言えること。日本人は世界の人が認める位の「礼儀正しい国民」でもそれって本当なのかな?現地のフランス人や他の外国人に対してはニコニコ、控えめな発言、死語だけど「ぶりっこ」すらありえるのに、でもこれが同邦人の私たちに対すると食って掛かる勢いの時もあるのが不思議です。外国人相手なら折れる物を私達相手だと絶対に引き下がらないのは何故なんでしょう。相手が私達だと「お客様は神様」とその観念を押し付ける理由の根底は何?
外国人相手だと言葉の壁もあるせいかおとなしいけど、私たちに対するときは杭を打つ勢いの時もある。また要求も我侭もエスカレート。私たちはロボットじゃないんだから感情もあるんで、変な態度で出られたら反射的に同じような態度で返します。私のように外資系の会社に勤務し、上司から「日本人だけが顧客じゃないんだから」といわれるとなおさら。一般的に気が短い、物事をはっきり言うと言われるアメリカ人の方がサービスには限界があるということを熟知している気がします。だから彼らは自分の望む回答を得るために、見せ掛けだとしても謙った言い方や態度で自分のペースに乗せるのが上手い!またチップに対しても寛容だしこ慣れたもの。
私たちの態度がきつい、悪いとか言われることも時々ありますが、傲慢な態度のお客様に対してはこちらも横柄に、分かりきった質問に対してはそっけない返事になってしまうのは仕方のないこと。反対にそんなに恐縮されなくても、と思うような態度で来た人に対して、こちらも必要以上の協力を惜しまないというのは人情のみならず自然なこと。
夢路とみこ