サンジャン教会のある一角は旧市街でここは世界遺産指定地区なのですが、ここが指定された対象が「トラブール」と呼ばれる抜け道があるからです。
この抜け道の由来はいろいろあるようで、最近知った説はシルク職人が織物を運ぶのに雨避けの為にこのトラブールを使って運んだらしい。しかし、たしか機織職人が多くアトリエを持っているのはリヨンでもここから反対の地区で丘高いクロワルスなんですがこの説によるともしかしてあんなに遠くからこの抜け道はつながっているのか。だとしたら、太陽王ルイ14世のお抱え建築家で戦略家のヴォーヴァンも真っ青になりそうなすごい抜け道なんですけど。
私が知っている説は、その昔、リヨンが絹貿易で繁栄していた時代、リヨンには古今東西の与太者が集まったとか。その与太者はこのリヨンでも犯罪を犯し追ってから逃げるのにこのトラブールを抜け道にしたとか。
その他には、商業の街リヨンは、その裕福振りを「窓ガラス」で表したという話があります。その昔フランスの各地では色々な税があり「塩税」はよく知られますが「窓税」というのも合ったようで、この「窓税」というのは窓枠の数で税徴収の金額が決まったとか。だからフランスの各地に行くと外側には窓がなく、中庭に面して窓がたくさんある昔の建築物があるのはそのためだと聞いたことがあります。
つまり、税徴収者は外側からしか窓が数えられないので、「せこい」ブルジョワは窓を中庭に向けて作ったようです。それは税徴収者の目くらましというだけではなく、泥棒避けでもあったようですが。当時のガラスは昔の長崎と一緒でビードロか、ベネチアングラス、かなり高価なものだったので、それがあること自体がブルジョワで有ることを示し、泥棒の格好の標的になったのでしょう。
でもそれは中世の時代の話で、一番近いところの利用者は「レジスタンス」の人たちリヨンはパリに次いでナチに対抗した「レジスタンス」活動が盛んだった場所です。これについては、以前、105号にでも紹介しましたが。ナチの追っ手を逃れたユダヤ人や活動家がここを抜けて永世中立国スイスに逃亡した話は何度も聞いています。
様々な時代の抜け道となって来たトラブール、リヨンならではのものです、是非見て下さい。
こちらもご参考にどうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/beaucaillou7/51335408.html
夢路とみこ
[311]リヨンのお宿
このホテルを見つけたのはリヨン観光局のサイトから。
http://www.lyon-france.com/
今回は観光アテンドと異業種交流会の仲間を伴って、そして滞在期間も1泊という超短期だから、2つ星の中でもメトロ駅に近いということを最優先させてこのホテルに決めました。
http://www.hotelazurlyon.com/index.php
場所はリヨン・ペラーシュ駅から徒歩5分。駅からカルノ広場に向かう出口を出て広場を反対方向に渡ったら、目の前にすぐヴィクトル・ユーゴ通りがあり、ホテルはその通りの入り口すぐそば。この通りをまっすぐ突き抜けるとベルクール広場まで行けるという便利さに惹かれての予約。
入り口はチェックインカウンターと朝食をとるサロンがあり、雰囲気は明るい。オーナーが「うちのホテルはね、古い建物なんだよ」と19世紀の建築であることを自慢してました。「安ホテルの古いは=汚い、ウルサイ」の私のイメージを払拭するようなホテルでした。
60ユーロ前後のお部屋でもそれなりの広さがあり、ベッドの横でスーツケースが広げられる広さは有難い。私の泊まった部屋は中庭に面していたので窓から見えたのはリヨンならではのカラフルな壁を持つお隣さん。もちろん静か。
各フロアごとにテーマカラーがあるのか、レモンイエローやライムグリーンでドアやフロアのサイドテーブルがコーディネートされていたのは、女性好みだなと思いました。でも、このホテルの建築で気に入ったのは3箇所。ゆったりとドレープのようなエレガンスのある階段。そばの壁に掲げられている古き良き時代のリヨンの白黒写真。パリで同じようなものをよく見かけますが、リヨンのそんな時代を見るのは初めて、パリのそれのように素敵なお写真ばかり。
そして私が一番気に入ったのは、もちろんホテルのオーナーのご自慢中のご自慢のようでした、19世紀のクラシックなスケルトンタイプのエレベータ。これどうやって乗るの、と最初は困惑するくらいにドアの開閉に戸惑ってしまいましたが、この時代のものですからね、自動ではなく、自分で開けて閉める。フレンドリーなオーナーの雰囲気意も気に入ったので、またここに泊まるでしょう。
ご参考にどうぞ
http://blogs.yahoo.co.jp/beaucaillou7/51187444.html
夢路とみこ