[290]甘えに対する反動

とある観光地のとあるレストラン。観光シーズンオフの冬に行った時はこんな時期に来てくれたというような歓待の雰囲気に溢れ、そのお店のお勧め料理を注文したら稀にに見る美味しさ。その後、その地でお祭りがあり再び行ってみて冬に頼んだ同じ料理を注文したら、混んでいたせいかかなりの手抜き料理にびっくり。お祭りだし、一元さんだし、ほかにまともな店もなく、お惣菜屋とかパン屋ばかりだから否応なしにこの店にまともな食事を求めて集まり忙しくなるのは分かるけど。でもそれってがっかり。あの冬の訪れで食べたあの味を求めて戻ってきているのに。忙しいのを理由に劣化するなんて。観光地=ご飯がまずいの典型。観光客に甘えてとしか言いようがない。
「甘え」と言えばそれは観光で来仏する日本人にも言えること。日本人は世界の人が認める位の「礼儀正しい国民」でもそれって本当なのかな?現地のフランス人や他の外国人に対してはニコニコ、控えめな発言、死語だけど「ぶりっこ」すらありえるのに、でもこれが同邦人の私たちに対すると食って掛かる勢いの時もあるのが不思議です。外国人相手なら折れる物を私達相手だと絶対に引き下がらないのは何故なんでしょう。相手が私達だと「お客様は神様」とその観念を押し付ける理由の根底は何?
外国人相手だと言葉の壁もあるせいかおとなしいけど、私たちに対するときは杭を打つ勢いの時もある。また要求も我侭もエスカレート。私たちはロボットじゃないんだから感情もあるんで、変な態度で出られたら反射的に同じような態度で返します。私のように外資系の会社に勤務し、上司から「日本人だけが顧客じゃないんだから」といわれるとなおさら。一般的に気が短い、物事をはっきり言うと言われるアメリカ人の方がサービスには限界があるということを熟知している気がします。だから彼らは自分の望む回答を得るために、見せ掛けだとしても謙った言い方や態度で自分のペースに乗せるのが上手い!またチップに対しても寛容だしこ慣れたもの。
私たちの態度がきつい、悪いとか言われることも時々ありますが、傲慢な態度のお客様に対してはこちらも横柄に、分かりきった質問に対してはそっけない返事になってしまうのは仕方のないこと。反対にそんなに恐縮されなくても、と思うような態度で来た人に対して、こちらも必要以上の協力を惜しまないというのは人情のみならず自然なこと。
夢路とみこ

[289]新居獲得奮闘気(3)

やっとホテルから移り入居して2日後に大家さんが訪ねて来た。これから1ヶ月のヴァカンスに行くからと言われ、そして「私の不在中に冷蔵庫が壊れたら、もう古いからね、買い換えて良いからあとで請求書だけ送って下さいね」と言われました。それから3日後、案の定冷蔵庫が壊れた。この冷蔵庫、家のプチキッチンのサイズに合わせているからタイプが古く、ネットで検索してもこれに代わる同じサイズの物が無い。大家さんはすでに旅行中、人の助けを借りてやっと冷蔵庫を見つけ入れ替えたのは2週間後。同居ならこんな苦労ないけどな。
冷蔵庫問題が解決したかと思ったら、注文していた無線ネットのケーブルと器具がまだ届かない。料金の高い携帯電話から何度もプロヴァイダーに請求の電話をすれども「今日送った」とまるで「蕎麦屋」の返事。これまた同居ならきっと同居人が巧みな仏語でやり倒してくれるんだろう。
週末を利用してパリを離れて戻ってきたら部屋の電気が付かないではないか。幸いな事にうちはキャンドルがいっぱいある。以前、ネット新聞で読んだ日本の「キャンドルで夜を過ごすイベント」みたいな記事に触発されたのと、電気代を少しでも浮かせる為にキャンドルをたくさん灯してます。キャンドルの灯りを頼りに電気屋さんに電話をして助けを求める。しかし、電気屋さんに「ブレーカー」とか「ヒューズが飛んでる」と伝えたくてもそんな仏語知らない、暗くて辞書も引けない。管理人さんを引っ張ってきて電話に出てもらい電気屋さんがその後に来たのは午前0時。後で知ったのですが、同じ階の人がその日引越しをして、電気を停めるはずの部屋を間違えて私の部屋を停めてしまったらしい。
ある日映画館の月極め見放題のパスを発行している会社から200ユーロ近い請求書が来た。このパスは数ヶ月前に紛失してすぐ銀行自動引き落としを止めたのに何故?辞書片手に読めど訳せど契約書うんぬんの文面が理解できず。やっと会社同僚に解読してもらい、年間契約だから切れるまでパスを使おうが、紛失しようが請求される、契約が切れた2ヶ月以内に契約打ち切りの文書を提出しないと引き落としは続くと。ひぇ?半年以上も使ってないのにこの請求書に上乗せして満期まで払わなければならない?このフランスの銀行の自動支払い、これまでも何度か問題に遭遇、どうしてこう日本のように簡単に処理出来ないのか悩みます。一人暮らしは大変だ!
夢路とみこ