[105]レジスタンス資料館

1941年のドイツ軍に夜パリ占領を境に本格化したレジスタンス活動の中心地はリヨンであったということはとても興味深いところです。すぐ近くにはドイツ軍に協力して独立政権を持ったヴィッシーがあり、またもう一方にはアルプス山脈を経て中立国家スイスがある、そんな立地条件の中、リヨンが中心となったのは偶然ではないような気がします。
1987年から88年にかけて私が留学していたオート・サヴォアの大学はスイスの国境まで徒歩15分ぐらいのところにあります。リヨンまでは電車でほんの 2時間足らずのところです。この学校はプロテスタント系の神学校が基盤となって出来た大学なので第一次、第二次世界大戦時とそれぞれ反戦活動に参加した学生たちの歴史がなまなましくありました。
第一次のときは神学部の教授であり牧師が徴兵を拒否し大学の地下牢にされていたケースがあり、第二次世界大戦の際にはその息子である神学部の学生がレジスタンス活動に参加しキャンパス裏のサレーヴ山を経て多くのユダヤ人児童をスイスへと越境させたこととか。この話は米国で取り上げられ60年代に Hiding Place(隠れ屋)として出版、映画化されました。私はこの本を留学中に読み先輩である彼らが越境した山をよく散歩したものです。

占領時代、レジスタンス活動を取り上げる歴史資料館はフランスの各地にあります。以前もブザンソンのそれを紹介したことがありますし、また私の母校の隣町、アヌシーにもあります。パリ、モンパルナス駅の上にもある事をご存知でしょうか?でもその大半がレジスタンス活動の中心的役割をした男性活動家に脚光を浴びさせる内容が中心ですが、リヨンのそれはちょっと違う。終戦の舞台裏の立役者、無名のヒロイン、女性レジスタンス活動家のことも、紹介しています。数え切れない数の女性の命も、また悲しい歴史の下敷きになっていることをこの資料館は教えてくれます。
彼女たちがいかに多くの子供たちを越境させたか、どのような肉体的拷問や精神的な苦痛や羞恥の末に朽ちて果てたかなどを知るとき、今日、会社社会の中でキャリアウーマンを目指し男性と同様の権利や責任を求め女性の社会進出も華々しい恵まれた時代に生きる自分の姿と比べます。そして、名誉でも偽善的な慈愛でもなくひたすら頑張った彼女たちの中に真のキャリアウーマンの像を見ます。見知らぬ先輩たち有難う。
レジスタンス資料館
Centre D’Histoire de la Resistence et de la Deporation
住所 14, avenue Berthelot Lyon 7
電話 04-72-73-33-54
日曜日から水曜日まで9a.m.から5:30 p.m.
トラムT2出Centre Berthelot下車Centre BerthelotのBatiment Fの中にあります。

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[104]ソーヌとローヌの落とし子

リヨンを表した言葉にこんなのがありました。フランスを流れる4つの大河、セーヌ、ロワール、ガロンヌ、ローヌの中でローヌだけが男性名詞、ル・ローヌなのはやはり別名猛牛ならし、英語でRaising Bullと言われるほどによく氾濫を起こす荒くれ河だからだそうです。そんな荒くれな河に嫁いだ深窓の令嬢のようなソーヌ川はちょっと小生意気なでも愛くるしいリヨンという町を産み落としました。
地中海の水からなるローヌはとても青く流れも急です。一方アルプス山脈の雪解け水からならソーヌは緑が深く流れも穏やかです。リヨンから南に掛けて下ってゆくと途中この二つの川の合流地点があり、そこで水の色が二つにくっきり分かれているのが見えます。リヨンが三角州の上に立つ街であることが実感出来ます。
リヨンは横浜と姉妹都市というだけあってシルク貿易で栄えたという歴史があるせいかシルク製品の店も多くその伝統的な製法は今もカニュと呼ばれる機織職人たちに頑なに守られています。またリヨン芸術のひとつであるギニョールとという人形劇はフランスの各地で今もなお上映されています。リヨンにはギニョールを初めとした南仏のサントン人形の博物館もあり横浜の人形の家を思い出させます。

昔からこの街が商人の町でまた貿易により栄えていたということはリヨン中とも言える美しい窓ガラスだらけの家屋で良く分かります。中世の頃は窓税というのがあったらしく窓枠の数で税金を取っていたらしい。徴税人は建物の外から窓の数を数えて税金の額を決めていたようです。同じ窓税の歴史を持つディジョンでは窓の殆どを建物の中、中庭側に作り徴税人の目を盗んだようですが、貿易で潤っていたリヨンの商人たちはその権力と財力を誇示するためにわざと細かく窓枠を増やし、そしてそれらは全て外から見えるようにしていたとか。お陰で今日リヨンの外観を美しい窓たちが飾ります。夜になると住宅に明かりがつくのでとても綺麗です。リヨンが別名「光の街」と呼ばれるのもまったく納得。
パリに次いでの第二の都市リヨンは愛国心でもパリに次いだ歴史があり、ドイツ軍占領下時代にリヨンはパリ同様にレジスタンス活動の中心地として知られます。世界遺産に指定されている旧市街のトラブールを見学するとき、この迷路のような場所を逃げまくり抵抗したレジスタンス活動家たちを思います。彼らのお陰で今日のリヨンの美しさがあることに感謝します。
ローヌ郡観光局
http://www.rhonetourisme.com

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