[314]リヨン観光(2)トラブール

サンジャン教会のある一角は旧市街でここは世界遺産指定地区なのですが、ここが指定された対象が「トラブール」と呼ばれる抜け道があるからです。
この抜け道の由来はいろいろあるようで、最近知った説はシルク職人が織物を運ぶのに雨避けの為にこのトラブールを使って運んだらしい。しかし、たしか機織職人が多くアトリエを持っているのはリヨンでもここから反対の地区で丘高いクロワルスなんですがこの説によるともしかしてあんなに遠くからこの抜け道はつながっているのか。だとしたら、太陽王ルイ14世のお抱え建築家で戦略家のヴォーヴァンも真っ青になりそうなすごい抜け道なんですけど。
私が知っている説は、その昔、リヨンが絹貿易で繁栄していた時代、リヨンには古今東西の与太者が集まったとか。その与太者はこのリヨンでも犯罪を犯し追ってから逃げるのにこのトラブールを抜け道にしたとか。
その他には、商業の街リヨンは、その裕福振りを「窓ガラス」で表したという話があります。その昔フランスの各地では色々な税があり「塩税」はよく知られますが「窓税」というのも合ったようで、この「窓税」というのは窓枠の数で税徴収の金額が決まったとか。だからフランスの各地に行くと外側には窓がなく、中庭に面して窓がたくさんある昔の建築物があるのはそのためだと聞いたことがあります。
つまり、税徴収者は外側からしか窓が数えられないので、「せこい」ブルジョワは窓を中庭に向けて作ったようです。それは税徴収者の目くらましというだけではなく、泥棒避けでもあったようですが。当時のガラスは昔の長崎と一緒でビードロか、ベネチアングラス、かなり高価なものだったので、それがあること自体がブルジョワで有ることを示し、泥棒の格好の標的になったのでしょう。
でもそれは中世の時代の話で、一番近いところの利用者は「レジスタンス」の人たちリヨンはパリに次いでナチに対抗した「レジスタンス」活動が盛んだった場所です。これについては、以前、105号にでも紹介しましたが。ナチの追っ手を逃れたユダヤ人や活動家がここを抜けて永世中立国スイスに逃亡した話は何度も聞いています。
様々な時代の抜け道となって来たトラブール、リヨンならではのものです、是非見て下さい。
こちらもご参考にどうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/beaucaillou7/51335408.html
夢路とみこ

[073]ロワールの城巡り

ロワール地方のことを「フランスの庭」と言うけれど城巡りをするとそれに頷ける。確かに庭園も多いしまたそれがフランス庭園の集大成のよう。城巡りをしても庭にはあまり立ち寄らない観光客が多いと聞いているが、庭園巡りはセットメニューであるべきと私に教えてくれたのは田辺保著の「ロワール川流れのままに」。
庭園巡りの意義とその楽しさを余すことなく紹介するこの本はロワール城巡りの前に是非一読してもらいたい。城にまつわる人間模様盛りだくさんのエピソードを思い出し笑いしながら行ける。ただ有名だ、世界遺産だと言うよりもこれらの城には生き生きとした物語があり、サヴィーネ夫人が著したヴェルサイユ宮廷並みのドラマがある事を知るでしょう。学校では他国の歴史、それもフランス史なんて詳しく学ばないから。読んで訪れれば自分もその歴史の登場人物の一人になってしまいそう。

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