[242]労働許可証への道(4)

2005年の秋、日本へ戻り人生をリセットするかと決めて、会社を自己退職しました。2004年の突然の解雇劇から救うように拾ってくれたアメリカの会社。ボスとは上手く行っていたけれど、なかなか知名度が上がらない私たちの船旅へのもどかしさ、保守的で出る釘は打たれるみたいな環境に嫌気をさしてパリに出て行った、或いは帰国した友人達の行動力に扇動されて、今決心しなければこのまま埋もれてしまう。そう思い、ディジョンを出る事を決意。
日本へ返る予定がセーヌでみた私たちの船、アナコリュート号に後ろ髪を追うぎゅーぎゅーやられ、帰国の準備がパリへの上京へと一転し久々の都会暮らしへと。
帰国を取りやめてパリ上京を真っ先に喜んでくれたのは、倒産した会社の社長。倒産した時の仲間の一部を呼び寄せて会社は再起したものの、今人材を増やすほど会社には余裕がないという。でも、日本市場は諦めたくない、この仕事が出来るのは私しかいない、と分っているものの何も出来ない。みすみす帰国するのを見送るか、と思っていた所だからパリ上京は吉報。
引越しだけなら簡単、でも私の労働許可証はブルゴーニュ限定。これがネックで倒産したすぐ後に上京を考えたけどパリでの就労が出来ないと分かり諦めた過程がある。でも、今度は違う、このパトロンが後ろ盾してくれるから何とかなるかもしれない。
パトロンが一緒に来てくれて二人でサンマルタン運河の側にある労働局へ向かったのが2006年の2月。サンマルタン運河は私がこの仕事について最初にクルーズした運河、思い出の場所。
パリの労働局に行く前にディジョンの県庁で今の労働許可証をこちらに移すのは可能と確認したにも関わらず、ここではけんもほろろ、管轄地区が違うからと。
あれから4回ほど申請のし直しを繰り返して、10月に降りるはずだったのが降りず、労働局の職員も「これはオカシイ」と再調査し直したら11月末にパリを含んだ労働許可証が降りていることを確認。驚いたのは2月に申請して8月には降りているのに、11月にそれを確認したので労働局からは県庁宛てに至急の発給を依頼したにも関わらず実際にそれを手にしたのは2007年2月。期限はあと半年しか残っていない。
手にしたとき、あまりの感動で失神しそうでした。パリに上京してほぼ1年、やっと、やっと手にした新しい労働許可証はフランス全土を含むもの。大きなため息が出た1日でした。
夢路とみこ