突然解雇されてから4ヵ月後近く、労働許可証が切れる直前に滑り込みセーフで再就職にこじつけた。再就職先は前の会社のライバル船会社。紹介してくれたのは前の会社の副社長。船が好きでブルゴーニュが好きで、アル中でも船の沈没で死んでも良いからここで船の仕事がしたいと言うことを知っていた彼は、私から船を、ブルゴーニュを取り上げたらただの「おばちゃん」になってしまうことを危惧してくれたようだ。
解雇直後、「とみこはこれからどうするんだ。日本にはもう帰る場所ないんだろう?」と心配してくれた。そう、両親が他界して、持ち家を処分してスーツケース一つでディジョンに来た。ここで自分の人生を形成するつもりでやってきた。だから毎年帰国しても帰る家がないからホテル泊まり。日本は故郷であっても故郷でなくなりつつある。だから意地でもこのディジョンに居座らなければ。運河と葡萄畑が心の拠り所。
副社長がライバル会社に電話してくれた。「もう知っての通りうちの会社買収されてね、米国以外の市場には船を卸さないんだよ。でね、日本市場担当している者も解雇されたんだ。お宅は日本市場興味ないかね。」と。電話先の相手は再就職先のブルゴーニュ支社支社長のところ。この会社も実は米国資本の会社で本社はボストン近郊のプリモス。本社でマーケティングを行い、ブルゴーニュは船の運営のみ。ここも米国市場以外は全く手をつけていないというクルーズ業界お決まりの米国市場中心型。
[100]労働許可証への道(3)
1年間の無給インターンを経てバイト採用に変わり、会社がアシスタントマネージャーの名目で正規申請したのは2年半が過ぎてから。名刺の肩書きだけは立派だけど許可証がないから給料はバイト代のまんま。その収入は金融業界の5分の1、日本で派遣してた頃の3分の1。でも仕事の満足度は今までの10倍。
申請から半年後一度却下されました。すぐさま社長と人事担当者が2回も県庁へ交渉へ行きやっと申請が通りました。1回目の交渉時には私が起こした会社の日本語資料を持って、2回目は私が来てからの日本市場の売上げという具体的な数値を以って私の不可欠性を説きました。既婚などで在住日本人がいるのに何故私なのかを突く県庁案を覆すには私の存在が会社に有益である、即ち仏経済にプラスであるロジックが必要。
私のところに来る就職志願の日本人学生は多くディジョンや日本で時々会います。どうしてフランスで働きたいの?『フランスが好きだから。』ではフランス人と結婚するのが一番確実でしょう。好きな人と好きな国に住めるなんて理想だわよ。仕事はどんな事がしたい?『何でもします』本当?私の仕事はマーケティングだけど船に乗る時は皿洗いも便所掃除もあるわよ。ところで技能として何が出来る?『フランス語が得意です』語学は手段であって武器にはなりません。とこんな問答がいつまでも続きます。やはり日本で一度きちんと就職してそれなりの業績やキャリアを積んでからでないと海外就職、特に地方の現地企業は難しいとお考え下さい。
県庁から許可証を出すから×月×日に出頭せよと通知が来た。大喜びで知り合いにお寿司を注文。社員20名に私からの大盤振る舞い。この日のためにと日本から持参した一升瓶をも出しての出血大サービス。朝県庁へ行ってお昼に皆で酒盛りと極楽絵巻を頭に描きルンルンで窓口へ向かうと「引き換えの書類が一部足りない、また来週おいで」という。許可証は目の前にあるのに。落胆したままお寿司を持って帰社。取りあえず物は見たからと予定通りの酒盛り。
翌週書類を揃えて行ったら「あんたの許可証資料見当たらなくなった。明日までに探すからまたおいで」とけんもほろろ。そして運命の日、祈る思いで窓口へ。「待たせて悪かったね。ホレ、ここにサインして」と署名し入手。涙がポロリ。この紙一枚のために3年半、短いようで長かった。その夜、亡くなった母の写真に語りかけながらひとりウッシッシと晩酌、まるでオヤジのよう。
夢路とみこ