[196]死に方のコツ

作家の三浦綾子さんは、私にはまだ死ぬという大事な仕事がある、と言っていたそうだ。そして今年亡くなられた。死を直前に、確実に、意識して死んでいかれたのであろう。これは「成熟した死」といえるものだ。そう、死はこのように許容しなければならない。

まだ医学が発達していない頃、人間は死に対して真摯だった。避けることをせず直視した。自分の子が病気で死んでも悲しいが許容していた。身近な死を見聞きして死とは何であるかを学習した。つまり「成熟した死」を知っていた。

いつしか医学が発達し、人間は死と対決するようになった。死は病院の中で葬られ、公衆の場では見られなくなった。死の現場が減り、死を学習する場がなくなった。死は必ず訪れるのに、知らないから怖がるようになってきた。そして死ぬときにも抗って苦しみながら死ぬ。これは「未熟な死」。

死には「成熟した死」と「未熟な死」がある。「成熟した死」は自分の死を自覚し静かに迎える死。「未熟な死」は死を受け入れることができず、あがきながら迎える死。成熟した死を迎える時は、脳内に快楽物質が分泌されて恍惚のうちに死ねるらしい。ところが未熟な死はそれが無い。

どうも死に方にもコツがあるようで。