[272]ドイツ
10月3日はドイツ統一の日。太平洋戦争で降伏、東西に分かれていたドイツが1990年、じつに45年ぶりに統一され、この日ドイツ連邦共和国が誕生しました。
首都はベルリン。東西に分かれる前からの首都であったベルリンが統合後も首都となりました。それまでは西ドイツの首都はボン。東ドイツはベルリン。私の古い世界地図ではボンとベルリンに赤い印がついています。
ベルリンといえば、日本で初めて女子金メダルを獲得したことでも有名です。女子200m平泳決勝戦でアナウンサーが絶叫した「前畑がんばれ」。このフレーズはオリンピック史上に残る名文句であります。前畑が金メダルととったときは1936年ですから、まだドイツは東西に分かれていないとき。時局はナチスドイツの時代。ナチスドイツというと悪い印象がありますが、オリンピックを推進したヒトラーと前畑秀子が同じ時代に生きたということはなんとなく面白いですね。
しかし、翌1937年にはドイツは、日本とイタリアと日独伊三国同盟を結び、太平洋戦争に臨みましたが、イタリアが1943年9月無条件降伏、1945年5月にはドイツも無条件降伏をしました。ここでドイツは国家分割の憂き目に遭います。
ポツダムで行われた会談では連合軍の指揮者達(イギリスのチャーチル、アメリカのトルーマン、ソビエトのスターリン、(中国の蒋介石)が、占領地帯における各勝利国の役割及び降伏後のドイツと日本の将来を規定しました。これがポツダム宣言です。
ドイツはその後、4つに分割され、そのうちの3つを連合軍が、残り一つをソビエトが受け持ち東ドイツとなりました。ベルリンは国境になり、東ベルリンと西ベルリンに分かれますが、最初は自由に行き来できたといいます。それをいいことに亡命者(当然東から西)が後を絶たないため、ソビエトは高さ6mの「ベルリンの壁」を作ったのです。
壁が崩壊するまでに、壁を越えて西側に渡ろうとして命を落とした人は77人と言われていましたが、1997年の発表によれば実際には死者は1000万人を越すとされます。統合後のドイツではまだ格差があるといいますがいずれ解消されることでしょう。オリンピックが行われたシドニーでも、南北朝鮮が揃って入場退場するシーンが見られるなど、いずれ朝鮮韓国も統合されることでしょう。
【関連記事】
[640]ベルリンの壁