[640]ベルリンの壁

ベルリンの壁というと「ドイツを東西に分けた壁」と思っている方もいるのではないかと思いますが、ベルリンの壁は「ドイツを東西」に分けたのではなく、正確には「ベルリンを東西に分けた壁」なのです。

東ドイツと西ドイツは1945年の第二次世界大戦終結の時、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連を中心とする連合軍が占領した結果生まれました。アメリカ、イギリス、フランスは資本主義国家であり西ドイツを統治しました。ソ連は社会主義国家であり、東ドイツを統治しました。西ドイツはドイツ連邦共和国として、東ドイツはドイツ民主共和国として1949年にそれぞれ独立し東ドイツと西ドイツを真っ二つに分断する国境もできました。

連合軍は首都ベルリンも統治しました。ベルリンは東西ドイツの国境からはるか東にありましたが、その都市を同じように東西に分けたのです。つまり、ベルリンは東ドイツのなかにありましたが、そのベルリンの中に飛び地のように西ベルリンがあったというわけです。

西ベルリンは西ドイツの統治であり資本主義でしたが、東ベルリンは社会主義でした。そして最初は壁などなく、自由に行き来できたといわれます。しかしその自由な行き来は労働条件やノルマなどが厳しい東ドイツから西ベルリンへ労働者をどんどん流出する結果となります。頭を悩ませた東ドイツ首脳部はベルリンのなかに壁を作り、簡単に西ベルリンに行けないようにしてしまったのです。これが1961年8月13日のベルリンの壁(総延長156Km)です。

実際の壁はベルリンを東西直線的に分けるのではなく、西ベルリンを囲むように建設されました。困ったのは完全に孤立してしまった西ベルリンですがアメリカ軍が飛行機で物資を運ぶなどして西ベルリンを孤立から援助したということです。

その壁も1989年11月9日に崩壊します。社会主義国というのは貧富の差がないというのがウリですが、実際は差どころではなく「貧富」のうちの「貧乏」のみという結果でした。不満をもった東ドイツ人の流出を止めることができず、近隣の自由国の協力もあり、当時の東ドイツ政府は流出を黙認するようになりました。つまり事実上の崩壊です。時代の流れです。

あとはご存知のとおり、壁は撤去され1990年の統一を経て、現在ドイツは1つとなったわけです。

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