[745]ロボットが生物を超える日

その昔、1964年頃だと思いましたが、サイボーグ009という石(ノ)森章太郎氏の漫画がありました。ゼロゼロナンバーの9人のサイボーグがいて9番目の009が主人公の島村ジョーです。その他のメンバーは全部外国人で人種に関係無く世界平和を願った作品です。

そもそも彼らサイボーグは悪漢一味に作られた兵器でありますが、反乱を起こしてその悪漢一味に戦いを挑むストーリー。戦う相手は、同じサイボーグの0010だったり0011だったりします。戦いたくないのだけれど戦わなければならない、という悲哀感が根底に漂った作品です。

で、サイボーグですが、これは改造人間です。体の一部を機械化し、より高度な機能を持たせたもので、人間を超えるために意図的に作られるものです。土台となるのは人体ですから、ロボットではありません。血も汗も涙もある人間です。

一方アンドロイドというものがあります。平井和正氏のSF小説によくでてきます。これは、人間の形をしたロボットです。いかに人間に似せて作られても、人間ではありません。ロボットです。しかしロボットとはいえ、そのうち、怪我をすれば血を流し、理不尽なことには怒り、悲しい時には泣くようになりましょう。

人間の部品をすべて機械に変えてしまったサイボーグと限りなく人間に近いアンドロイドの区別がつかなくなるとき、人格とは一体なんなのだろう?と新たな問いかけをすることと思います。

最近では、身障者にやさしい、学習する義手というものが開発されています。今までの義手はどちらかというと使用者が義手のご機嫌を取りながら使わせてもらうという感じ。最新型は使用者の筋電位を記憶し、同じような動きを学習するものです。

ソニーのアイボも突き詰めれば同じテクノロジー。遺伝子操作やロボットの開発、脳の仕組みの解明など、生化学はとどまるところを知りません。一体人間は何をしたいのか?多分、新しい生命を作り出すためなのでしょう。そしてそれは、人類にとって有益なものに違いありません。「役立つもの」を作り出すのは人間の本能のようで、技術は確実に進歩しています。

ところで今我が家には猫が一匹います。捨て猫を引き取ったのですが、いまではしっかり家族の一員。こんなちっちゃな動物ですがロボットにはない生物のすばらしさがあります。じゃらして一緒に遊んでいるとロボットがペットとして生物を超えるのはやはり無理なのではないか、とも思います。煮干を燃料にまんまるの目をキラつかせ、どどどどーっと部屋中を駆け巡る。役に立つとはいえませんが、しかしすばらしい有機物です。