[191]そごう

《そごう関係者の心中をお察し申し上げます》

そごうは「十合」と書く。1887年大阪市南区心斎橋筋に「十合呉服店」設立した。今から113年前、その歴史は1世紀以上にもなる。そもそもデパートの創業は呉服屋からスタートしたものが多い。三越、白木屋(東急百貨店)、高島屋、伊勢丹など。1800年代は呉服がいかに羽振りがよかったかが伺える。

そごうは地域一番店を目指し、大規模店舗主義で伸びてきたが、内実はほとんど外部業者に任せきりだった。それが災いして、他社との競争力が無くなり急激に衰退、何度も経営難に陥る。

そもそもデパートと言う業態が今の時代にマッチしているかどうかが問題。それ以前からもデパートは定価販売で高いというイメージがあった。値引きしないというポリシーがステータスを生み、例えば三越の包装紙で包まれていればそれだけで格がある、ということも言われた。市場の間隙を狙ってスーパーマーケットが誕生しても何の対策もしなかった。よく考えてみればスーパーに抜かれて当然なのである。

これは何も日本だけでなくアメリカでもそうだ。その昔シアーズというデパートがアメリカでトップを争う小売業だったが、今は衰退してその面影は微塵も無い。今アメリカではトップはウォルマートだがこれとて明日はわからない。要するにトップはいつでもトップたる努力をしなくてはならない。落ち目になってから慌てても時既に遅いのだ。

で、そごうである。多大な負債を抱え再建するには債務を帳消しにしなければならないと言う。そのツケはどうするのか?どうやら国が面倒見るらしい。冗談じゃないぞ。国に金があるわけない。国の金は国民の金だ。勝手なことをするな。

一つの事業を起こせばその運営は並大抵ではない。いい時もあれば悪い時もある。蟻とキリギリスではないが、いい時は悪い時に備え蓄える。経営とは地道な我慢の連続なのだ。もしそれでもダメな時は潔く精算しよう。利権を争いそれぞれが自分の立場で会社を食い物にし、残ったものは負債だけ。それが今のそごうだ。

再建する価値がどこにあるというのか?延命策に奔走するより如何に社会に迷惑をかけずに清算するかを考えるべき。その点山一証券が採った道は正しいといえる。

やりなおしがきくのは若い時だけ。いい年してやりなおしするなどとは甘ったれもいいとこ。失敗したら潔く引退する、それが大人というものだ。旧態依然とした現デパートは今の時代にそぐわない。まったく理解に苦しむたまごやであった。

いずれにしても、経営陣は社員および関係者には迷惑がかからぬよう、最大細心の配慮をお願いする次第。

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