[205a]八百屋お七

昭和41年は丙午の年。この年は出生人口が極端に低い。もともと丙午の女は不吉という風説があったのだが、そのおかげで昭和41年の丙午の時には大幅に出生率が下がっている。その風説の出所の一つとして江戸の大火事を引き起こした「八百屋お七」の伝説がある。

火事で焼け出されてその避難先の寺の小姓に一目ぼれしたお七が、もう一度火事が起こればまた合えるのではないか、として放火した事件である。お七が放火をしたのは16歳であったとされるので、お七の生まれ年は1667年か1668年であったのではないか?とすれば、丙午の生まれではない。丙午の年は1666年である。昔のことだから数えで年を勘定したとしてもつじつまが合わない。

16歳ということに関しては、当時の記録から、事件の検証の際にお七自ら16歳であることを強調したというので、間違いはない。奉行は温情をかけるため何度も本当は15歳であろうと正したのにもかかわらず。

お七は火付けの罪により、鈴ヶ森で火刑に処せられた。享年16。ふびんに思った実の母が、密かにお七の遺体を刑場から持ち出し、故郷大和田の寺に埋葬したという。戒名は「妙栄信女」と墓石に記されている。

東洋占術的見地からすれば、丙も午も火の要素でそれが重なって丙午は猛火となり、女性にしては勢いが強すぎるとして嫌うのが常套。猛火と火事が連想されることも手伝ってお七は丙午ではないかという伝説が生まれたのだと思う。

しかし、火事が縁で一目惚れし、その思いを遂げるために放火してしまうなど、丙午の生まれでなければやらないのではないかと、四柱推命をやる私は独り言をぶつぶつぶつ・・・