[793]三菱財閥

三菱重工、三菱自動車、三菱ふそうなど不祥事が目立つ三菱ですが、三菱グループ全体から見れば些細なことでしょう。しかし不祥事を起こした会社の再建はどうなるか分かりません。

というのは、天下の三菱とはいえ株主が存在します。会社というのは株主の意向で動くわけですから、巨大な財力をどう使うかは株主次第というわけです。同じグループとはいえ、不祥事を起こした会社を救う財力はあっても、その財力を株主が再建に使わせるかどうかは難しいと思われます。したがって、不祥事を起こした三菱の関連会社は清算されるか吸収されるか、のどちらかになるでしょう。

さて、こんな不祥事など屁でもない三菱グループの創業者は岩崎弥太郎。1834年土佐藩の生まれです。江戸後期から明治維新にかけて藩から船を借り受け海運業に従事、財力の基礎を築きました。

その後、西南の役や台湾出征に際し、功績を挙げたことで政府に目をかけられ、軍事施設の払い下げ物件を安く買いうけ、三菱地所の基盤を作ったのです。現在の大手町から銀座日比谷にかけての大地主は三菱地所です。ちなみに日本初の高層ビルである霞ヶ関ビルも、現在の最高峰である横浜ランドマークタワービルも三菱地所の持ち物です。

さて、その三菱の創始者である岩崎弥太郎は強引な経営でも有名でした。藩費を浪費したり、仕事を途中で投げてしまったり、そのため仕え人たちは手を焼いたものです。トップダウンをモットーする経営は良いときは良いですが、悪くなったときの回復力に欠ける面があります。大きな三菱をどうコントロールしていくのか、これからの経営者はその手腕を試されるときといえましょう。

【関連記事】
[795]安田財閥