〔16〕米国同時多発テロについて

しじみです。NYに住む高校時代の大切な友人と先日やっとメールにて連絡をとることができました。TV映像を見ている限り「すごいな」とか「わぁ怖いな」くらいしか感じなかった私ですが、友人のメールを読んだとたん、自然と鳥肌がたち、涙が後から後から溢れてきました。今回はお仕事の話をちょっと離れ、この容易ならない問題について私の意見を書いてみようと思いました。世界各国に住む友人が、そして私たちが、再び平和な世界で生活できることを祈り…。

私は社会的に問題になっていることを自分なりに分析して、結論を出すという作業が好きだ。だが、たいていの場合、結論が出た頃には「あんた、いつの話してるのよ。」と周りの人に笑われてしまう。そう、私は頭の中で物事を処理する能力というのが人一倍遅いのだと思う。

そんな私の頭の中で毎日ぐるぐる回っているものがある。それは今世間を騒がせているテロによるNYビル襲撃、そしてそれを基点に始まるであろう世の中の様々な変化だ。

会社にいても、飲みの場でも、気のおける友達と遊んでいる時にも、その話題に触れない日というのが、あの日から、ない。

若い頃沢山勉強した物知りな人や、頭の回転が早い人、お喋りな人、は「この時ぞ」とばかりに意気揚揚と“報復”ついて反対だ、賛成だと語っている。その中で私だけがいつも頭の中を整理できずに、発言できないでいるのだ。

8月に靖国神社参拝の騒ぎがあった時もそうだった。周りの人が討論している中、私だけぽけーっとしていた。その時はさすがにそんな自分が情けなくなり、関係する本を人に教えられて数冊読んだ。

その段階で私は初めて日本の悲しい歴史や様々なむごたらしい事実などを知り愕然とした。そして強く感じたのは「私達の出る幕ではないな」ということだった。本当に戦争を体験した人でなければ、きっとそれは本当の意味で語れないのだ。戦争も知らず、平和を絵にかいたような中で、たかだか30年しか生きてないような自分が語ってもそれは何の意味も持たないのではないか、そんな風に思った。

話がそれてしまったが、今回のことはそれとはまた全然違う。どんな本を読めばいいのかもわからないし、教えてくれる人もいない。新聞も雑誌の特集もなんだか全く正反対のことが書いてあるような気がする。人の話を聞いていても、焦点がズレているような気がして、どことなくしらじらしく聞こえてしまう。

米国は「報復」と叫んでいるが(報復とは“3倍にして返す”という意味があるのだそうだ)それでことは収まるのだろうか。私は決してそうは思えない。今回のテロ事件で沢山の関係のない人が巻き添えをくった。米国が「報復」としてまた同じような手段に出た場合、関係ない数多くの命が失われるだろう。

あの事件があってからNYに住む友人と2,3度メールのやり取りをした。彼女はあの真っ白な煙の中を泣きながら1時間かけて避難し、そして今現在も日々沢山のデマに踊らされ、眠れない夜を送っている。アフガニスタン難民達も物資の供給が行き届かず、ろくに食べ物も食べられない日々が続いている。米国に住む600万人のイスラム教の信者たちもひどい嫌がらせを受けている。何も関係のない人達が、肉体的にも精神的にも苦しんでいるのだ。

「報復」も大切だと思う。悪い事をした人間にはそれなりの制裁が加えられるべきだ。しかし、その前に守らなければならない存在が沢山あるのではないか。それに何故気付かないのだろう。「報復」に賛成している91%の米国民達は、そのことの意味を本当に理解しているのだろうか。全く同じこと以上のことをしようとする行為に本当に賛成しているのだろうか。

テロで犠牲になった関係ない遺族の方のことを考えると、首謀者に対し強い怒りがこみあげてくる。しかし、それを「報復」だけで解決しようとしている米国政府そのものに対しても、今の私は不思議と怒りを感じている。

そしてそんな米国の戦略に「ちょっと待った。おかしいよ」をかける前に「米国を全面的に支持します」と言わざるを得ない日本にもなお私は非常にやりきれないものを感じている。

—-今回のテロで犠牲になった世界各国の方々のご冥福を心から御祈り申し上げます。そして世界各国に住む、被害を受けている関係ない人達の生活が1日も早く元通りに戻り、再び世界に平和が訪れるよう、お祈りしたいと思います。

2001.09.27

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