〔34〕セクハラ

定時ちょっと過ぎに会社を出ようとした瞬間、近くを通りがかった部長に「あれ?山口さん、ずいぶん早いねぇ。今日はおデート?」と呼びとめられた。

鼻歌を歌って歩いてきた彼は何かいいことがあったのか、やけにニコニコしていつになく機嫌がよさそうな感じだった。

私が笑いながら「いいえ。残念ながら女友達と食事です。」と答えると、近くでそのやりとりを聞いていた課長が「お。部長、若い女の子にそんなあからさまに聞くなんて。そりゃセクハラですよ」とやじを飛ばした。

部長は顔を赤らめ、「いやー。そうなの?ごめんごめん。山口さん、今の聞かなかったことにしといてぇ。」と言ってそそくさと行ってしまった。

これは“セクハラ”なのだろうか。

曖昧な言い方になってしまうが、私は実は“セクハラと思われるもの”に遭遇したことが無い。されていたのに気付かなかっただけかもしれないし、私のキャラがそういうものを感じさせず、されなかっただけかもしれない。

ま、それはどちらでもよいわけだが、上記のやりとりを思い返すと、なんとなく腑に落ちない気がしてしまう。「あんな会話でセクハラになってしまったら会話という会話ができないではないか」とふと悲しい気持ちにさせられた。

その後、プライベートでの食事の最中にその話しを出したら、ちょっと頽廃的な雰囲気を持つ友人はこう答えた。

「セクハラなんて流行らせたのはだいたいがブスな女なのよ」

彼女の持つ独特の理論は聞いていて非常に面白いものなのだが、今回の理論はこうだった。

「世の中の男と女っていうのはさ、みんな“性”でつながっているのよ。女にとって“性の対象”として見られて、ちょっかいを出されるなんて名誉なことじゃない?私だったら大手を振って歓迎しちゃう。ま、そういう女に男は手を出さないもんだけどね」

「セクハラされなくなったら、そりゃ淋しいわよ。そんな風に感じつつ、実際セクハラをされなくなった女が“私は女です”“まだピチピチです”ってことを訴えるために逆説法を使って“セクハラされた”と言い張って、自分が女であることを認めてもらおうとしてるだけなのよ」

その場にいた友人も私も笑い転げたわけだが、確かに。もちろんそれだけではないが、彼女の言ってることもわかる気がする。現に被害に遭われてる方には申し訳ないけど、そういう見方も案外ないとは言いきれないかもしれない。

“性的対象として見られる”ということを単純に考えると、嫌な気はしない。もちろんレズビアンなら別だし、それが就業中ともなると話しは違ってくるわけだが。

年のこと、彼氏の有無、洋服のこと、スタイルのこと、それらをけなされたらそりゃムカつくが、単に聞かれたり、ほめられたりする分には、それは会話の一部なのだ。それ以外に他の意図を読み取ろうとする方がおかしいのではないだろうか。そんな風に私も思う。

“セクハラ”と騒ぐ女性には、どこか「セクハラされたい」という願望が潜在的な部分に潜んでいて、それが男性に何度となくちょっかいを出すスキを与えてしまっているのかもしれないなぁ。

場面場面で、“この人にはOK”“この人はNG”と見極める目を持つということが、今の男性には必要なのかもしれない。

2002.02.01