先日4年ぶりに高熱を出してしまいました。夕方になると38~39度の熱が出るという日が3~4日続き、「一生このままだったらどうしよう」と本気で悩んでしまったほど。病院で診てもらったら「インフルエンザではなく、単なる風邪。それと過労ですね~」との診断が。このところ自暴自棄になり、日々飲み歩いていたので、そのツケがまわってきたのかもしれません。「飲みに行く元気があるんだから、たいして弱ってないだろう」という単純極まりない自己判断が招いた悲惨な結末ですね。寒い日はまだまだ続きます。みなさんくれぐれもご自愛を。
身動きが取れない程落ち込んでしまった時、前に進むことすら辛くなってしまった時、みなさんはどうしているだろう。
私はそんな時、何故か無意識に星野道夫さんに頼っていることが多い。写真家、冒険家、エッセイストとして有名な方なのでご存知の方も多いと思う。
私が星野さんを知ったのは、5年ほど前だった。某デパートで買い物をしている時にそこの催し物会場で展覧会が開催されていた。時間もたっぷり余っていたのでひやかし半分観に行ってみたのがきっかけだった。確かタイトルは“星野道夫写真展「アラスカの光と風」”だったと思う。
私の中のアラスカと言えば“オーロラ以外の鑑賞物は何もなく、寒くて殺風景な、できれば一生行きたくもないところ”であった。
「オーロラの写真を観るのも悪くないかな」程度の気持ちで入ったわけだが、所狭しと並べられた大きなパネル写真の中にオーロラの写真は殆どなかった。そこにはカリブーやグリズリーなどアラスカを代表する動物が美しい夕焼けや壮大な海などの手付かずの自然と共に収められていた。
全て見終わる頃、その写真にスッカリ魅せられた自分がいた。動物がかわいかったからではない。自然が美しかったからではない。言葉で表現するのは難しいが、近い言葉で言えばそこに「あたたかさ」を感じたからだった。
それ以来、私は金のある時に星野さんの写真集やエッセイを買い集めた。辛くなった時、何かにぶち当たったとき、私は彼の写真を見、彼のエッセイを読む。すると、不思議なことに自然と力がわくのだ。表の美しさのみでなく、裏の裏を見る力、そしてそこから這いあがって行かなくちゃという強い心を再生してもらえるような気がする。
たぶん普通の冒険家が書いた本だったら、感情移入しやすい私はすぐさまこの日常を捨て去り、同じ経験をしたいと願っただろう。美しい地域の写真を見たら、その場所へ出向き、自分の目で見たいと感じただろう。
だが、星野さんの写真や言葉は他の冒険家の方のそれとは全く違う。彼の本を読み終えた後は、「星野さんはアラスカで生きたけど、私はここにいる。ここが私の生きる場所、ここが私にとってのアラスカなのだ」と思わせてくれる何かがあるのだ。
つまり、彼は写真家、冒険家という枠を超えた、私にとってはとてつもなく偉大なメッセンジャーだ。
ここに私の大好きな彼の言葉の1つを書いてみようと思う。
「やっぱりおかしいね、人の気持ちって。どうしようもなく些細な日常に左右されてゆくけど、新しい山靴や、春の気配で、こんなにも豊かになれるのだから。人の心は深く、そして不思議なほど浅い。きっと、その浅さで、人は生きてゆける」(アラスカ風のような物語「早春」より抜粋)
自分が置かれた辛い状況を憂うよりも、周囲に転がるまだ自分が知らない未知なるものに勇気づけられることの方がずっと大切なんだと思う。
「やるべきことはまだ沢山ある」
漠然としていたっていい。そんな風に自分を信じる気持ちを忘れずに進んでいきたいと思う。
2002.02.22