〔38〕毒されていた私

日本人の約80%は冬になると“軽度のうつ病”にかかると昔何かの本で読んだことがある。それは殆どの場合自分では気付かず、春の到来と共に治ってしまうらしい。

寒さの大嫌いな私は(ハッキリした診断を受けたことはないので定かではないが)たぶん毎年、この軽度のうつ病にかかっているような気がする。今年も出だしからそうだった。

症状として挙げられるのはまず、何をしても面白くない。つまり感情がなくなる。誰と喋っていてもどうでもいいような発言をしてしまう。おかしい話をしてて、顔は笑っていても心は冷たい風が吹いている、そんな感じだ。

仕事をしていてもどこか変だった。上司から冗談を言われればいつも笑顔で対応し、端から見てもテキパキ動いているように見えたかもしれない。でもそれは生身の人間ではなく、感情というものをそっくりそのまま抜いて作られたロボットのようだった。

「やばいな、このままじゃ。軽度どこじゃないかもしれない。自覚症状が薄い間に重度になっちゃうかもしれないから近々医者でも行くかな」そんな風に感じていた折、同僚の加藤君(度々このメルマガにも登場してくれる、あの仕事のできない加藤君だ)から「今度飲みに行きましょう」という誘いを受けた。

久々の年下男性からの誘いにちょっぴり鬱々度が軽減され、ウキウキ気分にすらなった私は早速日にちを決め、2人で内緒で飲みに行くことにした。

当日「ずっと外田さんに怒られてて、、、」と遅くなった言い訳をして入ってきた加藤君は、目の前のイタ飯には目もくれず、まるで通夜の席で故人でも偲ぶかのようにポツリポツリと自分の心境を語り始めた。

「僕、もう決めてるんですけど、年内で会社辞めます。この仕事合ってないって前々から感じていたし、もともと夢があったから」

心なしか、スッキリした表情だった彼は“大学の頃から検事を目指していた”という夢を語り、「僕が辞めたら、仕事で一番迷惑かかっちゃうのは山口さんだから、一応話しておいた方がいいかな、と思ったんです」と締めくくった。

正直ビックリしたが、何故か止める気は微塵も起こらなかった。まともな人だったら「あなたはこの不況に何十人何百人という中から選ばれた人間なんだよ」とか「正社員として会社に守られているんだよ。特にうちは大手なんだから仕事ができなくたって、いるだけ得なんだよ」と常識的なことばを並べ、止めたかもしれない。

ても、私は「夢」ということばを聞いてしまうと、どうしても身動きがとれなくなってしまうらしい。彼は「目の前の安定」や「エリート意識」よりも「自分の夢」を選んだ。私はそういう一本気な、自分で自分の道を作っていくという人に非常に弱いのだ。

もちろん加藤君がいなくなったら、私がこうむるであろう被害は計り知れない。ましてや4月から二人三脚でやっていかなくてはならないのだ。二人三脚は1人ではできない。私は窮地に立たされるだろう。

だが、そんなことはその時考えればいいことであって、今この段階では関係ないことだ。そんな風に思うくらい私は目の前のこの26歳の男の子の夢を一緒に応援してあげたくなっていた。

「山口さんに言ったら絶対怒られるかと思ってました。引き止めないんですね」ビックリしている加藤君に向かって、私は「愛の告白とかだったらもっと驚いてあげられたんだけどね」とおばさんギャグを連発し、“いいな、夢があるって”と心底そう思った。

今まで加藤君の仕事のやり方を見て「仕事ができない人間は、人間できない」なんて思っていたこともあった。「自分より下」と見下していた時期もあった。違うんだなぁ、そういう見方って。いつのまにか「会社菌」に毒されていたのかな、私。そう感じたとたん、なんだか恥ずかしくなった。

そして何よりもその感情は、久々に芽生えた自分らしい感情だった気がした。

春はもう目と鼻の先。私だって26歳の男の子に負けてられない。

2002.03.01

〔37〕勇気づけてくれるもの

先日4年ぶりに高熱を出してしまいました。夕方になると38~39度の熱が出るという日が3~4日続き、「一生このままだったらどうしよう」と本気で悩んでしまったほど。病院で診てもらったら「インフルエンザではなく、単なる風邪。それと過労ですね~」との診断が。このところ自暴自棄になり、日々飲み歩いていたので、そのツケがまわってきたのかもしれません。「飲みに行く元気があるんだから、たいして弱ってないだろう」という単純極まりない自己判断が招いた悲惨な結末ですね。寒い日はまだまだ続きます。みなさんくれぐれもご自愛を。

身動きが取れない程落ち込んでしまった時、前に進むことすら辛くなってしまった時、みなさんはどうしているだろう。

私はそんな時、何故か無意識に星野道夫さんに頼っていることが多い。写真家、冒険家、エッセイストとして有名な方なのでご存知の方も多いと思う。

私が星野さんを知ったのは、5年ほど前だった。某デパートで買い物をしている時にそこの催し物会場で展覧会が開催されていた。時間もたっぷり余っていたのでひやかし半分観に行ってみたのがきっかけだった。確かタイトルは“星野道夫写真展「アラスカの光と風」”だったと思う。

私の中のアラスカと言えば“オーロラ以外の鑑賞物は何もなく、寒くて殺風景な、できれば一生行きたくもないところ”であった。

「オーロラの写真を観るのも悪くないかな」程度の気持ちで入ったわけだが、所狭しと並べられた大きなパネル写真の中にオーロラの写真は殆どなかった。そこにはカリブーやグリズリーなどアラスカを代表する動物が美しい夕焼けや壮大な海などの手付かずの自然と共に収められていた。

全て見終わる頃、その写真にスッカリ魅せられた自分がいた。動物がかわいかったからではない。自然が美しかったからではない。言葉で表現するのは難しいが、近い言葉で言えばそこに「あたたかさ」を感じたからだった。

それ以来、私は金のある時に星野さんの写真集やエッセイを買い集めた。辛くなった時、何かにぶち当たったとき、私は彼の写真を見、彼のエッセイを読む。すると、不思議なことに自然と力がわくのだ。表の美しさのみでなく、裏の裏を見る力、そしてそこから這いあがって行かなくちゃという強い心を再生してもらえるような気がする。

たぶん普通の冒険家が書いた本だったら、感情移入しやすい私はすぐさまこの日常を捨て去り、同じ経験をしたいと願っただろう。美しい地域の写真を見たら、その場所へ出向き、自分の目で見たいと感じただろう。

だが、星野さんの写真や言葉は他の冒険家の方のそれとは全く違う。彼の本を読み終えた後は、「星野さんはアラスカで生きたけど、私はここにいる。ここが私の生きる場所、ここが私にとってのアラスカなのだ」と思わせてくれる何かがあるのだ。

つまり、彼は写真家、冒険家という枠を超えた、私にとってはとてつもなく偉大なメッセンジャーだ。

ここに私の大好きな彼の言葉の1つを書いてみようと思う。

「やっぱりおかしいね、人の気持ちって。どうしようもなく些細な日常に左右されてゆくけど、新しい山靴や、春の気配で、こんなにも豊かになれるのだから。人の心は深く、そして不思議なほど浅い。きっと、その浅さで、人は生きてゆける」(アラスカ風のような物語「早春」より抜粋)

自分が置かれた辛い状況を憂うよりも、周囲に転がるまだ自分が知らない未知なるものに勇気づけられることの方がずっと大切なんだと思う。

「やるべきことはまだ沢山ある」

漠然としていたっていい。そんな風に自分を信じる気持ちを忘れずに進んでいきたいと思う。

2002.02.22