〔32〕フェイドアウトの恐怖

先日入ったばかりの派遣の女の子が突然会社に来なくなった。1週間風邪ということで欠勤し、その翌週には彼女の配属する部に「交通事故に遭い、大怪我をしてしまったので通勤ができません。短い間でしたがお世話になりました」という文面のFAXが、送られてきたというのだ。

その話しは一気に広まり、「すごいよね。風邪ひいた後、怪我なんてなんだか嘘くさいし、そうまでして辞めたかったのかねぇ」「どうせバックレでしょ?」「ちょっと変わってる子だったもんね。トイレで会っても挨拶もできないしね」などとみんな口々に語っていたが、私はその会話の中にどうしても入っていけなかった。

その辞めてしまった彼女が“本当にフェイドアウトだったのかどうか”ということはわからないが、実は私も過去に一度同じような辞め方をしたことがある。

「派遣」として初めて働きはじめた会社だった。そこは古い体質の小さな特許事務所で、来る日も来る日もお茶汲みと膨大な数のコピー取りだけをやらされた。コピーするものがない時は、席で待機。机の上は自分専用の端末もなく、ガランとしていて、何もなかった。

「何か別のことをやります」といおうものなら、「いいの、いいの。派遣さんはコピー取りだけでいいのよ、ね?」とバカにしたような態度で返された。暇を食いつぶすのが大の苦手な私は、そういった状況で働くことに耐えられなかったというわけだ。

派遣会社の担当さんに相談しても「そういうものですから」の一点張り。当時の私は今ほど“派遣”というもののシステムを理解しておらず、ただオロオロうろたえた。

世の中はリズミカルに動いているはずなのに、自分だけ時が止まってしまったかのような凍てついた感覚。組織というものにせっかく属しているのに、確実なポジションというものがなく、ほっぽらかしにされているような感覚。

単細胞で経験が浅く、人に甘えれば何でも許してもらえると信じこんでいた私は、すがりつくものもなく、「ここを辞めることができたら、どんなにか楽だろう」「またプーに戻れたらどんなにか楽しいだろう」そればかり考えた。そして精神的余裕が全くなくなった時、私はフェイドアウトするということを選んだ。

が、その甘い夢の決断は思わぬ方向に向かっていった。

毎朝、8時半に起き、派遣先企業と派遣会社に電話する。身体はピンピンしているのに「頭が痛くて行けません」と連絡をする。それは非常に忍耐のいる作業だった。何故、自分がそんなことをやっているのかよくわからなくなった。

派遣会社からは1日に3、4回「具合が悪くてもなんでもとりあえず行ってもらえないか」という電話が入り、その度に「無理です」というのが精一杯で、今まで感じた事のないような(まるで神経をつねられているような)恐怖感が私を襲った。

2週間くらいたったある日、派遣会社の担当者から「“頼りにならないので、もう来なくていいです”と言われました。どうしてくれるんですか?」的な電話が来て、私はひたすら謝り、そのフェイドアウト劇は終焉を迎えたわけだが、今考えると「なぜあんなことをしてしまったのだろう」と思う。

今思い出しても身体中に寒気が走るくらいの出来事だった。

途中で徐々にこなくなってしまうような派遣スタッフは意外と多い。つまり今回の女の子のことも、私にとってはそれほど驚くべきことではないわけだ。だが、その度に私は自分がフェイドアウトした時のことを思い出す。そして何故か胸が締めつけられるような苦い感情がどくどくとわいてくるのだ。

ルールを破って、人に嘘をついて、家の中にこもって怯えていたみじめな自分。

あの時の派遣会社には本当に悪いことをした、と今でも思っている。もちろんその後、お仕事紹介の話しは来なくなり、私もそこから籍をはずしてもらったが、それでも心はスッキリするはずもなく、人生最大の汚点として、私の中にある。

2002.01.18

〔31〕“きれいに年をとる”ということ

今年(もうまもなく)私は31になります。そう、数えでいけば32なので前厄。迷信好きな母に育てられ、小さい頃から不可解な決まり事に疑問を抱きつつも、それに馴れてしまっていた私にとって「厄年」という響きは非常に大きな塊となって心の中に巣くっています。厄払いになるアイテムなど、ご存知の方いらっしゃったら教えて下さい。

先日、友達と雑誌を見ていた。それは安田なるみをイメージキャラにし、金持ちマダムをターゲットにしている雑誌で、非常に高価なファッションやインテリアの数々が毎月「これでもか!」という程に掲載されている。

その中に「きれいに年をとっている女性達」というページがあった。厚化粧をほどこし、華麗なファッションに身を包み、“私は今までこんな生き方をしてきました”“主人は青年実業家で・・”てなことが書いてある。

私はその雑誌をひやかしつつ眺めるのが好きで、その時も「青年実業家って言ったって、もう42なわけでしょ?青年じゃないじゃんねぇ」「こんな人がエルメスなんて持ったって似合うわけないと思わない?」などと友達にひがみ半分の同意を求めて話しかけていた。

なんとなく元気のなかった友人は、私の話を聞いているのか聞いていないのかいきなり「私さー、きれいに年をとってける自信ってないのよね。もう今の人生に疲れちゃった。こんな先の見えない恋愛してたって、仕方ないし」と突然言い出した。

「若い頃は親の敷いたレールの上を歩くなんてまっぴらって思ってたけど、その方が案外正解だったのかもしれないと思うことが多くなってきたんだよね」「私もきれいに年を重ねたいのに、どうもそれが下手みたいでさ、最近考えこむこと多くて」と。

彼女は昨年からずっと不倫をしている。不倫や浮気という語句には、どことなく演歌調でドロドロしたいやらしさが漂うわけだが、彼女の手にかかるとそれは、非常に爽やかでスパイシーなものに変化する。

彼女の中には「それでいいじゃない。それも人生じゃない?」というある種の開き直りに近いニュアンスが含まれ、そんな多々ある武勇伝は聞いていて小気味よいものだった。

それだけに今回の彼女の「疲れた」発言に私はビックリしてしまったわけだ。何か傷つくようなことでも言われたり、辛いことがあったのか、と聞くと、何もないと言う。

たぶん、殆どの女性は30前後になって初めて「一生一人だったらどうしよう」「一人で食べて行ける生活力をこれからどうやって養っていけばいいのだろう」などいう漠然とした現実に直面し、考え込んでしまうのではないか、と思った。

私もその友人も社会に出、10年間働きつづけてきた。刺激を求めるために、自分に本当に合った仕事を探すために、転職を繰り返した。その度に何かを感じ、絶望し、考え、そして何かを切望した。

その友人はとても逞しい生き方のできる女性だ。だから同年代の人よりもちょっとばかり何かを知りすぎたのではないか、と私は思った。逞しく生きたと同時に現実の厳しさも知っている。でもあまり様々なことを知れば知るほど、手も足も出なくなってしまう、そういう時がきっとあるのだ。

社会で鍛え上げられ、少しずつ強くなっていったと同時に、もしかするとその反面、彼女は徐々にナーバスになっていたのかもしれない。

でも、きれいに年をとることはそんなに大事なことなのだろうか。親の敷いたレールの上を歩く事は大切なことなのだろうか。人の道をそれず、「こうしたい」という願望があるのに、それを押し殺しながら生きていくことはいいことなのだろうか。

「なーんか老けたわ、私」と言いながら不安そうに鏡をのぞきこむ彼女の横顔を見ながら、「“レールの上を上手に歩くことができる人”がイコール“美しく年をとることができる人”」なのだとしたら、私はそんな人生まっぴらだと思った。

彼女のように、不安を露にさらけ出して、自分ときちんと対話し、そしてぎこちなくてもいいから、そこから這い上がって行くこと、それを繰り返しながら、人は、本当にきれいに年をとることに成功するんじゃないのかなぁ。

2002.01.11