〔26〕暇な時間

以前派遣された会社でやたらと暇をもてあましてしまったことがあった。

某飲料メーカーの営業事務の仕事だった。普通、営業事務というのは、日中は電話の応対に追われ、事務処理は定時を過ぎてからになってしまうことが多いと思っていたのだが、そのセクションは殆ど電話が鳴らなかった。

朝、出勤し、前日手配したもの、入力したもの等のファイリングをする、その時間たったの10分。その後は端末をのぞき、何か重要なメールはきてないかチェックし、何もないことがわかると、作りかけの(特に提出期限のない)取引先住所録たるものの作成にかかる。

周りの人に「何かやることありますか?」と聞いてもみんな口を揃えて「今のところないなぁ」と言う。

社会に出てから、どちらかというと忙しい部署でバタバタと仕事をすることに馴れていた私にとって、“暇な時間”というのは初めて与えられた時間だった。

「こんな暇なのに派遣を雇う必要ってあるのかなぁ。変な会社。」とのんきにかまえながら、時に私は上司の目を盗み、こっそりゲームをしたり、フロアーをフラフラ歩き回ったりしていた。最初の1カ月は、気楽にやっていたわけだ。

だが、しばらく経つとその暇な時間というものが際限なく長いものに感じられ、更にそれは精神的な苦痛を伴いはじめた。

昼までまだ2時間30分・・・。就業時間まで、3時間・・・。

何かしなければ。何か責任ある仕事がしたい。クレームでもなんでもいいから私宛ての電話が欲しい。毎日呪文を唱えるように、その“時間”という呪いと戦った。
住所録の作成に嫌気が差すと、また周りの人に「何かありませんか」と聞き、「無い」と返答されると、メモ帳を作り、部内の掃除をした。それでもそんなものはものの10分で終わってしまう。

もしかすると私がここにいる時間というのは、私の全人生の中で最も無意味で何の収穫もない時間になってしまうのではないか、そんな恐怖が私を襲った。

仕方なく、私は派遣会社の担当営業に「暇で暇で気が狂いそうです。辞めたいんですけど・・・」と相談した。

あらかた話し終えると彼は「そうですか。山口さんは能動的に何かやろうと動いたり、周りの人に仕事の有無を聞いたりしてるわけですね。でしたらあとはいいように使ってください。山口さんのデータを見ると、アプリの能力が初級レベルですから暇な時間を利用して、スキルアップにつなげてくださってかまいません。それで文句を言われるようなことがありましたら、私がどうにかしますから。」とアドバイスをくれた。

彼の言い分は「派遣スタッフを雇っておいて、何ら指示を出さないのは企業の責任だから、こっちがそれを気にして悩む必要はない」ということらしかった。

確かにそれは一理ある。そう思った私は翌日から、部内にあった参考書を片手に端末に向かい始めた。

同僚に「何やってんの?」と聞かれると、「住所録を作ってるのですが、わからない個所があるので」と言い訳し、エクセルやワードの問題集を片っ端から解いてみた。

その数ヶ月間が辛くなかったと言えば嘘になるが、問題集を解きながら過ごしても、派遣先の企業側は何も言ってこなかった。

私は結局その会社で半年ほど働き、「状況は変わらない」と判断した時点で辞めたわけだが、今考えると、大の勉強嫌いな私(実はパソコンもさほど好きではない)が、今の会社で「エクセル教えて」と聞かれたり、「しじみはデジタル人間だからね」なんて言われてしまう所以はそこにあるのかもしれないと思ったりする。

あの“暇な時間”を有意義に使えと言ってくれた派遣会社の担当営業の方がいなかったら、私はそのまますぐにやめていたかもしれない。あの“暇な時間”がなかったら私はこんな簡単にパソコンというものを動かす事ができなかったかもしれない。

そう考えていくと、“無意味な時間”と思われていた時間が、過ぎて見れば意外に有意義な時間だったことに気付く。

時間というものも使いようなんだな。企業というところは大いに利用すべき。時には仕事せず、金もらったっていいじゃないか。

そんな経験ができちゃうところが派遣で様々なところで働く醍醐味なんだろうな、なんて思う今日このごろ。

2001.12.07

〔25〕高まる物欲

今年は本当に暖かいですね。去年以前遡ると11月の初旬からコートを着ていたような気がしますが、今年はジャケットや薄手のブルゾンで充分間に合ってしまいます。あと1カ月我慢して、来年1月のバーゲンでコートを買おうか、やっぱりお目当てのものがあったら、今買っておいた方がいいのか、悩みが尽きない私です。

冬のファッションというのは夏のそれよりも、選んだり購入を決めたりするまでにやたらと時間がかかる。素材や着た時のシルエットの重要性もさる事ながら、何せ価格が高い!

「ワードロープの中にあったら嬉しいけど、今月は諦めよう」と見なかったふりをし、心の中で泣くことのなんと多いことか。

会社でも相当なストレスが溜まっているのだ。プライベートでも我慢我慢なんて言ってたら、そのうちストレス性の胃炎なんぞになってしまうことだってあるかもしれない。

そうだ、“生きている”ことはイコール“金のかかる”ことなのだ。

もうすぐクリスマスや忘年会など、色々なイベントがあるんだもん。(こういう時に「ボーナス」というものがないのは非常に恨めしいが)そうだ、買ってしまおう。自分へのご褒美だ。

そう思い、先日ラストシーンの白いジャケットを購入した。ウエストの部分をマークする今年風の太ベルト、シンプルに立てる襟、そして丈、着心地の良さ、そのジャケットは全てが私の好みに合っていた。

3万円という価格は多少イタかったが、これを着て歩くことによって、うきうき気分が増殖し、きらびやかに、華麗に、こころおきなく今年を締めくくることができれば、こんなお得な買い物はないだろう、そう自分に言い聞かせた。もちろん「今月はもうこれで終わりにしよ」とはらをくくることも忘れずに。

しかし、買い物というのはなんと因果なものだろう。

「今月はもうこれで終わりにしよう」という決心も、そのジャケットが自分の手中に入ったとたん、もろくも崩れ去り、私は無意識的にと言っていいほど発作的に、靴売り場に向かい、走りだしていたのだ。

「このジャケットに合う、ブーツが欲しい」

その真摯な一点の曇りも無い純粋な気持ちは、私をどうしようもない“強欲ババァ”にさせていた。靴売り場に並ぶ色とりどりのパンプスやブーツ。思わずため息をつく。「店ごと買い占めたい」と真剣に考える私がそこにいた。

「やっぱり今年はちょっとヒール高めの細身のブーツよね」そんな風に様々なブーツを物色し、ターゲットを絞った。店員に自分のサイズに合ったものを出してきてもらう。

いざ履こうとしたその瞬間だった。

「は、はいらない」

なんと内側のジッパーが、ふくらはぎのちょうど中間点で止まってしまったのだ。正直ビックリした。

いつのまにふくらはぎなんぞに肉がついていたのだろう。

私の身体は「もうこれ以上あがらないよ。無理に上げたら壊れるよ」というSOSをすぐさま私の脳に送り始めた。

しかし、脳から心にそう発信されればされるほど、私の「履きたい」欲はのぼりつめていく。悲しいほどに、切ないほどに、私はジッパーの途中からはみだしてた、自分が勝手に蓄えていたいまいましい肉の塊を見ていた。

そう言えば昔ピーコが言ってたよな、「服や装飾品にかけるお金があるのなら、まず自分の身体そのものにお金をかけなさい」と。とほほ。

そしてブーツを泣く泣く諦めた私は、次なるターゲット(そのジャケットに合った)アクセやボトム、ニットを探すため、走りまくったのだった。

その一日で使ったお金、しめて6万。

ストレスフルな社会で生きている限り、私は「物欲」というものを抑えることはできないんだろうなぁ。

2001.11.30