〔24〕イエスマンな彼

先日近くに行く用事があり、バスに乗りました。お天気もよく、バスに乗るのが久し振りだったため、ちょっぴりウキウキした気分でいると、遠くから子供の泣き声が。よく聞いているとどうやらバスの中で暴れてお母さんに怒られているようでした。「そんなことしてると運転手さんに怒られて下ろされちゃうわよ」お母さんは子供に何度もそう言っていました。“暴れると怒られる”ではなく、暴れるとどういう人達が困って、どういうことになるかということをしっかり教えてあげなくてはいけないのではないか、と思ってしまった私。なんだか世の中、歪んでるよなぁ。

私が配属する部は、部員15名ほど。殆どが営業マンで、その中で内勤は3人だ。27歳の茂手木君、26歳の加藤君、そして私。

新卒で入社してきた若手の男性は内勤で3~4年会社の内側を理解したあと、営業に出されるという仕組みになっているらしい。茂手木君は1年あとに入ってきた加藤君に比べると格段に仕事ができる。すでにこの会社で1年半もいる私も茂手木君に教えてもらう業務は多い。

茂手木君は常に敬語を使って、何でも上の人の言うことを素直に聞いている。「タメ口でもいいよ」と言っても、私にすら敬語を使う。そう、彼は一本筋の通った、気持ちのよい、今時の若者とは比べ物にならないくらいしっかりした人間だと、私は思っていた。

ある日「山口さん、ちょっとお時間いいですか?お話したいことがあるので」と彼に言われた。

ここからは前号の話を引きずるが、茂手木君が私を呼び出して始めた話の内容は、先日の手配ミスについてのことだった。

「いや、僕もそういうことしょっちゅうしますから、わざわざお呼びだてして言うのもなんですが、」からはじまり、あの時は売り先からどのようにオーダーが入ってきたのか、メーカーの方はどんなかたちで対応したのか、というようなことをしきりに聞かれた。

最後に「ではこれからもミスはあると思いますが、頑張りましょう」で、締めくくられた。

あのミスからスッカリ立ち直り、再び意欲的に仕事をしていた私は、ちょっとした違和感と不快感を感じた。話しの内容がちっとも見えてこなかったからだ。

しばらく時間が経ってから私は徐々に腹がたってきた。ミスはした。でも上司にはしっかり謝ったし、反省もした。今後ミスをしないよう、自分なりに改めた。それをまたほじくりかえして、何が言いたいんだろう、と。

そして1つのことに気付いたのだ。

たぶんこれは誰かのさしがねだ。

被害妄想とかそういった類のものではなく、私の勘は100%合っている。たぶん彼は上の人間の誰かに「もうああいうミスはしないように、オマエから厳重注意しろ」と言われたのだ。

うちの部にはそういう雰囲気が漂っている。「1年でもオレの方が早かったのだから、オレの方が偉いんだ」「汚い仕事は後輩の仕事だ」そんな空気ができている。“年功序列”を絵に描いたような縦社会だ。

だから茂手木君はその先輩からの指示を素直に遂行した。たぶんそれだけのことだろう。

そう。彼は社内で“いい人”で通っている、“それなりに仕事もできる奴”という評価ももらっている。会社という組織の中では、非常に重要な評価だ。だが彼はそれと同時に“イエスマン”でもあるわけだ。そういう強い縦社会ではイエスマンであれば、評価は自動的に高くなる。

小さい頃から「縦社会」にどっぷりつかり、そこで何の疑問も持たずに生きてきた人。学校で、先生に「人をいじめてはいけません」「宿題は必ずやってくるように」といわれ、それを何の疑問ももたず、大人になってしまった人なのだ。

私は縦社会を無視し、どちらかというと横社会におもきをおいて生きてきた。いいことも悪いことも、自分がやってみて、初めて解った。友達と遊ぶことによって、それらを学んだ。

やけになった時、ヤバい方向に進みそうになった時、そんな私をきちんとした方向に向けてくれたのは、先生でもない、上司でもない、いつも近くにいてくれた友人達だった。

たぶん彼にはそういう経験がない。逆らわずに生きていくことが普通の生き方だと無意識に思っている人間だ。

だから2人で話したとき、そこには何1つ学ぶことも、納得できることも何もなかった。変な違和感だけが残ったのだ。

“人と人がぶつかる時、自分のことばで話す”縦社会で生きてきたしまった人にはそれができないのではないか、と思った。そんなんで解り合えるわけないじゃないか。と少し悲しくなった。

仕事はできても、中身スカスカ、そんな人、私は嫌いだな。
2001.11.23

〔23〕怒られる幸せ

先日会社で大きなミスをしてしまった。オーダーがきて、手配したまではいいが、その納入先を間違えてしまっていたのだ。「たいしたミスではないじゃないか」そう思われるかもしれない。確かに誰にでもありそうなミスだ。

しかし(細かい話しになるが)私が今いる業界は紙業界だ。しかも書籍の紙を流しているので、ミスは許されない。納入先を間違えた、納入日を間違えた、ということでその書籍が発売日にでなくなってしまう可能性だってあるわけだ。

とりあえず、その時はなんとか別の車を手配し“間違った納品先から、オーダー通りの納品先にいれ直す”ということが短時間でできたので、事無きを得たわけだが、私は担当の営業マン、課長、部長にも頭を下げた。「私のうっかりミスとしか言いようがありません。本当にすみませんでした。」と。

こういうことがあると私は本当に心底へこむ。「会社から一歩でも外に出たら仕事のことは考えない」そんな主義の私でも、さすがにその日は一日中落ち込んだ。

単純なミスだった。魔が差したといってもいいほどのミスだった。そんなミスであればあるほど、“根拠”や“原因”が無い。きちんと理解し、わかっていただけに、自分への責め言葉も見つからなかった。

そう思うと同時にもう1つのことが頭に浮かんだ。

「何故、こんな基本的なミスを犯したのに、怒られなかったのだろう」

部長も課長も担当の営業マンにも「いいよ。誰だってするようなミスだし、時間はかかったけど、ちゃんと納入もできたんだし。大丈夫大丈夫。」そう言われて、なんだか逆に私の方が慰められたような気分になった。

うちの部の内勤は私を入れて3人。私以外の2人は26歳と27歳の新卒男性だ。彼らも私と同じようなミスをすることがあるが、彼らは頭ごなしに怒られる。「オマエ何やってんだよ、これミスったら、ペナルティがどのくらいになるかわかってんだろうが。もっと身を入れてしっかりやれ!」と。

怒られるのはいやだ。だけど「ミス」をしたのだ。少し厳しく注意されてもいいようなものだ。逆に自分に反省材料がないだけに、責め言葉が見つからないだけに、誰かに怒ってほしかった。

それは私が“女”だからなのだろうか。それとも別会社から来ている“派遣さん”だからなのだろうか。

昔、学生時代の地元の友人らと飲んでいた時に、同級生の男の子がこんなことを言っていた。

「最近さ、俺にアシスタント的な社員が入ってきてさ、それが30になったばかりのババァなんだよ。はっきり言ってそいつ気取ってんだ。確かにキャリアもあるし、大きな仕事任せてもきちんとやってくれそうな雰囲気はもってるんだけど、何かあった時にそういう女には強く言えないわけよ。だから細かい仕事ばっかやらせてるんだ。」

はたと、いつのまにか私もそういう30女になってるのかもしれないな、と思った。

私が正社員で入った新卒の頃は、怖い先輩が多くて、しょっちゅう怒られた記憶がある。お茶の入れ方から、お客様がきた時のお辞儀の仕方から、厳しく怒られながら指導された。

そしてある日、教育担当でもある先輩と食事をしに行った時、「山口ちゃんに対してみんなが怒りやすいのは、あなたが“怒って厳しく注意すればちゃんと解って、覚えてくれる”と信じてるからよ。かわいがられてる証拠なのよ」と言われたのだ。

その時、私は今よりまだ若く、先輩の語る意味がよくわからなかったが、「誉められてるような、けなされてるような、」なんて思いながらも、“怒ってくれる人”に感謝したものである。

そうやって1つ1つわかりあいながら、本来スカスカに感じることの多い“縦の人間関係”は“信頼できる人間関係”へと築き上げられていくのではないだろうか。

そんな風に考えていくと、私は派遣になってから、30になってから、「怒られる」ということが殆どなくなった。

人は立場や年で、その人を位置付けて行く。

私はもうすでに「怒る必要のない人間」「怒るに値しない人間」と位置付けられているのではないか。また、それと同時に「怒りにくい」という雰囲気を醸し出してしまっているのではないか、そう考えたらふと悲しくなった。

派遣だろうが、30女だろうが、ミスをした時には厳重注意をされるべきだ。人間は怒られながら、意見をぶつけ合いながら、それによって考えて、成長していくものなのに。

「私って30女独特の雰囲気持ってる?」

今度誰かにそう聞いてみよう。ちょっと勇気のいる質問だけど、このまま頭の中空っぽになっていくのは悲しいもんね。「しっかり年をとっていきたい」と思うから。

2001.11.16