[21]身分と戸籍

2019年3月21日

第21回
■身分と戸籍
江戸時代よりずーっと以前から、国民に差別的なランクを付けて来ましたが、昭和に入ってからも歴然と残っていました。それが「士・農・工・商」「穢汚・非人・部落民」と云う階級で、これが悪いことに「世襲」の様な形となって、そこで生まれた者は一生付きまとって来るのです。
明治四年に明治政府が『戸籍法』を作って、国民を全部戸籍台帳に載せる事になりましたが、その村々を統括していたのは代官所だったのですが、実際には庄屋と名主がやっていたようですが、「人別帳」に乗らない無宿者などはその土地を支配していたヤクザの親分が束ねていたのです。それを取り締まる岡っ引き、下ッ引きと称する十手持ちはやはり無宿者だったらしいです。総対的に無宿者を取り締まっていた親分達に代筆させて戸籍に登録したのですが、抜けていたり落ちていたり,申請しなかったりで、まことに以て不正確なものであったようです。そればかりではありません。昔は大戸籍ですから親子代々同じ戸籍に記載されました。
その上戸主の頭に階級が書かれていたのです。「士農工商」のうち「士」だけは「士族」と書かれ、その他は「平民」と書かれましたが、問題はそれ以後の階層の人達です。その人達の頭には「新平民」と書かれました。
当時は誰でも他人の戸籍を摂ることが出来た時代ですから、一般の人がそれを見て、「新平民」って何だろう?と思ったのでしょう。大騒ぎになりました。それで慌てて廃棄処分にして新しく「平民」と書いた戸籍を発行したのです。
でも「士族」の階級もありました。所謂「貴族」です。これは一口に言えば「公・侯・伯・子・男」のことです。同じ貴族でも「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」とあって此の順番で位が違います。
一番位の高かったのは「公爵」で昔から宮中に仕えていた家系の人だったと思います。ですから武家では無かったようですが「侯爵」は大体各地の大名だった人で、「伯爵」「子爵」は幕府に功績のあった家系で「男爵」は明治時代の海軍、陸軍の司令長官などで功績があった人のようです。これらは世襲であり国民の税金で生活していた「特権階級」です。
話は戻りますが、階級の書かれた原戸籍は翌年には廃止されたようです。昭和五十年十二月三十一日に戸籍法が改正されて、自分の三親等以外は摂ることが出来なくなりましたが、階級の書かれたものも取れなくなりましたが、戸籍面にやたらに墨で消している箇所が多くなりました。見られては悪いことが書いてあつたのでしょうかね? たしかに当人の死亡原因が書いてあるものもありました。又見たことはありませんが、犯罪履歴も初期には書いてあったそうです。
個人のプライバシーを守るのは結構な話ですが、何故三親等だけと決めたのでしょう? つまり自分の女房の戸籍ばかりでなく兄弟姉妹や叔父叔母の戸籍まで見ることが出来ません。高齢になった我々が疎遠になった兄弟の消息まで分からないのです。
子供が生まれたら「出生届」を出すのは義務ですから皆さんも出しますね、そして戸籍簿に記載されますね。ところが古い大戸籍であった頃の「除籍謄本」が記載されている全員にXが付くとそれから50年経つと無断で廃棄処分されて仕舞うんです。そうなったら自分の生まれたルーツは永久に分かりません。お役所は法律で動いているのでしょうが、請求したら一枚の葉書で「これは廃棄処分になっていますので発行できません」で終わりです。
後は自分の先祖の菩提寺に行って「過去帳」を見て調べるしか方法がありません。菩提寺に行って「過去帳」は調べましたが其のお寺を菩提寺にしている檀家は家だけではないので、自分の家の分だけ探すのは容易なことではありません。まして殆どは俗名ではなく戒名ですから尚更です。
それに住職も高齢になって跡継ぎがいなくてお寺も閉鎖逸れている状態です。唯先祖累代の墓が苔むしてポツンと立っている姿は寂しいものです。
人は50才を過ぎると、先祖の事を想う様になるようです。若い頃は先祖なんて関係がない・・なんて云う人も多いですが、自分がここにあるのは、先祖があってのことだと想うのはある程度年齢がいかないと思はないのかも知れませんね。

だれも書かなかった「部落」
寺園 敦史
講談社
売り上げランキング: 33,516

amazonで「部落」を探す
楽天で「部落」を探す