[24]士・農・工・商(2)

2019年3月21日

第24回
■士・農・工・商(2)
第23回より続き
《農》
二番目に云う「農」とは勿論所謂百姓ですが、これにも大地主の「豪農」もあれば、猫の額ほどの小さな農地しかない小百姓もあれば、全然農地を持っていない農夫も居たわけですね。此の百姓農夫の貧富の差は歴然と存在していました。昭和に入っても同じです。
広大な農地を持つ「豪農」とて、自力で田を耕し、作物を生産することは出来る訳がありません。ですから「小作人」が必要になるんです。小作人とは自分の耕作地を持たない雇われ農夫です。ですから「貧農」の階層です。作物を作ればそれはすべて「豪農」のもので、小作人は賃金か、売れ残りの作物のおこぼれを貰う程度でしたから、極貧の生活だつたようです。
《工》
とは所謂製造業で、殆どが職人と云われた人達です。世の中には器用な人もいますから、自分の力・能力で一芸をなして世の中で活躍し生活する人達です。普通の人がすべて出来るとは限りませんが、江戸時代からの伝統工芸などは、廃ることなく今に伝わっており、美術品、芸術品などは沢山ありますね。
そして現代でもそれに優るものが出来ないなどと云う物もあるくらいです。こんなに優れた作品ばかりでではなく、庶民の、或いは子供達のためにも多くの名人芸を見せてくれた職人も沢山いました。
昭和の時代にも、各地の神社のお祭りなんかは子供達にとっては嬉しい、楽しい時でした。特に神社などにお参りするのではなく縁日が楽しいのです。特に名人芸を見せる人も現れるのです。
自転車の荷台に積んだ箱の引き出しから水飴を割り箸を二本に折って、其の二本で水飴をくるくる巻いて1銭で売るばかりではなく、もう一つの引き出しから晒し飴のような柔らかい飴をストローのようなものに巻き付け、それを口で吹くんです。するとそのストローの先の飴が膨らんで来ますから、それを手で色々な形にするんです。それは鳥だったり犬猫の動物だったり、そして出来たものに赤や青や黄色の色を付けるんです。そして荷台の藁束に刺して欲しい人に売るのですが、出来映えは見事でした。
でも一度も買ったことはありませんから、値段は幾らだったのか知りません。何故なら知らないおじさんが口で吹いたものは汚いから買ってはいけません・・と母に厳重に云われていたからです。唯見ているだけです。
もう一つ職人芸を見せながら商売をする人がいました。それは「針金細工」です。おじさんが「坊や何が欲しいの?」と聞いて、子供が欲しいと云った物を見ている前で直ぐに作って仕舞うんです。注文は大抵ゴム鉄砲か飛行機くらいですが、五分くらいです。値段は大抵十銭くらいだったと思いますが、正に名人芸でした。
《商》
口も八丁手も八丁・・と云うくらいの商売人です。江戸時代の昔から日本の風俗は男も女も和服が通常の衣服ですからら、商人の代名詞は呉服屋が主体となっていますが、なにもそればかりではありませんね。要するに自分の作った物ではないものも売る・・と云うことです。大きなお店と云えばデパートですね。デパートの大手は昔は呉服屋から出発したようです。昭和の初めは大手のデパートは「三越」「高島屋」「白木屋」 (これは前にも書きましたが火事をだしました。)「松坂屋」「伊勢丹」「松屋」などです。
私は良く知りませんが、銀座に「三越」や「松坂屋」や「松屋」があったかどうか子供の時は銀座に行きませんでしたので良く分かりません。「松屋」は浅草にありますね。此のデパートは子供の遊び場のある所で、電気自動車なんか乗れましたので覚えています。そのほかは神田駅前の今川橋の麓に十銭ストアがありました。これは前にも書きました。
その後に電車屋がデパートに進出しました。西武とか東急とかです。あとの商売は殆ど行商です。(此の物売り行商については相当職種がありますから、その都度挿入して述べて行きます)
版画家 森義利 作品手ぬぐい『行商人』
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