[27]差別意識の中のいじめ

2019年3月21日

第27回
■差別意識の中のいじめ
人間は生まれると直ぐに自分の環境を意識?します。昔は病院で生まれるなんてことはなかったのです。必ず自宅でお産婆さんの手によって生まれますから、産湯につかつてすぐに母親に抱かれます。それで小さいながら意識するのではないでしょうか? そして成長するに従って、自分が優位に立とうとするのか、またはそれを他に知らせようとするのか、そのうちに自分より弱い者をいじめる・・と云うことはどんな階層にもおこります。
しかし私達は否応なしに「教育勅語」(これは後で学校の所で全文を書きます)の時代に生まれましたので、同じ世代や同輩に対しては「いじめ」問題は起きなかったように思います。
省線(JR・国鉄の前身)の「巣鴨駅」から次の「大塚」に向かう線路の土手の上に「百軒長屋」と云うものが並んで建っていました。一軒一軒が別々ではなく全部繋がっているんです。水道はなく共同の井戸で、便所は戸別に付いていたようですが、ガスはありませんで家の前で薪で煮炊きをするし、勿論風呂は銭湯です。家の中は六畳一間で小さな台所がある程度のものでした。
「貧乏人の子沢山」と云われますが、大抵子供は5?10人くらい居ました。でもこの子達は意外と明るいのです。ひがんだり、ひねくれたり・・と云う子だの、非行に走る子なんか居ません。兄弟姉妹仲良く親の手伝いをするんです。親に反発したり、逆らうことはなく、兄弟姉妹力を合わせて親を助ける孝行な子が多かったようです。
朝早く起きて「シジミ売り」「新聞配達」「納豆売り」なんか当たり前。幾らになったか知りませんが、全部親の手に渡ったと思います。そして時間になると、学校に行くんです。私達の同級生にも沢山いました。
だけどあまり「いじめ」と云う事は聞いた事はありませんが、生徒の中にはやはり「差別意識」の強い者も居て、自分を上位に見せようとして、弱い者をいじめる・・と云うことは起きます。ですが当時は生徒全体に「正義感」と言うものが強く、弱い者を助けると・・云う時代ですから、もしいじめる者を見つけたら、教室に入って、それぞれの席についてまだ先生が見えない一瞬に、いじめを見た子が自分の体操着をいじめた子の頭からスッポリと被せるんです。
すると他の生徒が一斉にその被された子の頭をポカポカと殴るんです。殴られた本人は誰に殴られたか分かりません。終わるとサッと素早く体操着を回収してしまいます。そして先生が来ると何事もなかったように、級長が「起立・禮」で授業が始まります。こうされると、いじめた者は泣いたり騒いだりすることなく、反省し、怨みを持つこともなく、綺麗に収まったものです。殴り方もみんな怪我を負わせないように心掛けていますから大丈夫なんです。
昔の小学校はこう云った世界でした。いじめられた子も、いじめた子も、先生にも親にも絶対に話しませんでした。子供の喧嘩には親は出ない・・と云う時代でした。
子供達の学校の世界はこのような状態でしたが、一歩外に出て大人の世界に出たら・・様子は全く違う世界でした。
Billy 昭和キット「駄菓子屋さん」【税込】 ビリ- 8532ダガシヤ [ビリ8532ダガシヤ]【プレ...
Billy 昭和キット「駄菓子屋さん」【税込】 ビリ- 8532ダガシヤ [ビリ8532ダガシヤ]【プレ…