[88]食事の作法
第88回
■食事の作法
食事の時の作法は厳しかったです。大抵夕食時までには父は帰宅していませんでしたが、昭和12年には私は6人の弟妹がおり、女中を入れると全部で8人ですから、お膳を囲んで座ると一杯になって身動き出来ないほどになります。当時は子供達はお膳の周りにキチンと正座して座ります。
ご飯は釜で焚き、炊きあがったご飯は「お櫃」に入れて、女中か母の側に置いてあり、勝手に茶碗に盛る事は出来ません。そして必ず「頂きます」と云わなければなりません。こんなことは今でも当たり前の事ですが、箸の持ち方、食べ方まで母は口うるさく云います。例えば箸を持ったまま左手で汁椀を持つとか、顔を上に上げて食べ物を口に入れる「吊るし食い」なんてしたら物指しが飛んで来ます。
ここで一寸「物指し」のことに触れておきますが、尺貫法の1尺は大体31cmで3尺は93cm位ですが、当時の母達は裁縫をしますので「物指し」は「鯨尺」で「金尺」より長く1mくらいありました。
その物指しは、うちのはいつも真ん中から二つに割れて居ました。それで食事の時ばかりではなく、何か悪いことをしたらそれで叩かれるのです。
食事のおかずは大抵「鰯」の煮付けか「鮭」の焼いた物か後は野菜の煮付けに「沢庵」位のものです。育ち盛りの私なんかご飯を5膳もお代わりして、母からいつも「お前は大食らいだねぇ」などと云われていましたが、それでも食べさせてくれましたね。
昔は「味噌汁」とは云いませんでしたね。「おみをつけ」と云ってました。大体具は「豆腐」「しじみ」「あさり」「大根」「ジャガイモ」「芋がら」「小松菜」「ほうれん草」等が多かった様です。たまに「豚汁」なんかが出ると大変です。忽ち売り切れになってしまいます。ご飯も進みますしね。
昔は茶碗1杯を「1膳」と云っていました。食事が終わると、盛り合わせの野菜などは良いのですが、一人一人に盛りつけたものは残してはいけないことに成っていましたので、それが嫌いな物であっても食べなくてはなりません。私は「ふき」が嫌いなのでこれには閉口しました。「フキ」を細かく刻んでご飯に焚き込んであねんですね。野菜は大抵「にんじん・牛蒡・蓮根・ジャガイモ・サツマイモ・里芋・小松菜・芋がら・白菜」などでしたね。肉類は殆ど無かったです。
食事が終わると「ご馳走様」と必ず云い、そして自分の食器はお勝手に行って、自分で洗って置くと云う「しつけ」でした。
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