[92]父の休みの日

2019年3月21日

第92回
■父の休みの日
父の休みの日は少し楽しみだったですね。普通は大酒のみの父の弟が隣に住んでいて、勤め先も父と一緒でしたから毎晩一緒に帰って来るのですが、ぐでんぐでんに酔っぱらって、弟はドブに落ちたり、遠くの方から大きな声で歌を歌いながら帰って来るのです。父は弟を看病するような格好です。近所に恥ずかしいので、ある時家の前に来たとき、鼠花火に火を付けて、叔父の足元に投げてやったのです。シュルシュルと花火は周りながら足元でパンと鳴るのです。ビックリした叔父はカンカンに怒って来ました。父は謝って来いと云うので仕方なく謝りにいきましたけど・・こちらは腹の虫が治まりましたよ。
家の前の五、六軒先に「ソバ屋」がありました。父が家にいるときは何か取ってくれるんです、カケソバ、うどんは10銭で種物は15銭でしたが、子供達は大抵「カケうどん」です。この頃の出前のソバ屋は自転車で片手に大きなお盆を担いで、うどん、ソバの丼を何段にも積んで配達して来るんです。実に名人芸ですね。
ですから丼の蓋は厚い木の蓋で、丼に乗せているだけです。「カケうどん」は薄いナルトが一枚入っている程度のものでしたが、それでも偶にしか口には出来ませんでしたから、凄く美味しく感じました。そして「うどん」を食べた後に残った汁に、お櫃に残っている冷や飯を入れるんです。完全に食べて満足です。
母は矢張り昔の人ですから料理は上手だったと思いますね。現代のようにみんなが口が肥えている時代ではありませんから美味しいかどうかは分かりませんが、当時は上手だったと思いますよ。何しろ出来上がったものなんて売っていなかった時代ですからね。
父が居るときは夜食は家族が多いですから、鍋物が多かった気がします。野菜や魚を使ったものが多かったと思いますが、「おでん」なんかは最高のご馳走でしたね。「すき焼き」みたいなものは1年に1度くらいしかありませんでしたね。
たまに父が「寿司を取って来い」なんて云うことがありました。子供達は大喜びです。巣鴨駅の並びに「亀八寿司」と云うのがありました。当時は家に電話がない時代ですから、何か頼むときは私の役目です。走って2,3分ですから大したことはありませんが・・寿司は来るのが楽しみです。父は晩酌でチビチビお酒を飲んでいます。ラジオを聞きながら楽しんでいる様子です。
普段は喧しい弟妹も父が居るときは妙に神妙でおとなしいのです。母親と違って何も云いませんし、まして暴力を振るうような事はありません。見たことは一度もありませんが、唯そこに父が居るだけで子供達も騒がないのです。父親の威厳でしょうか? お膳を囲んで家族全員で食事をすることで、父親がそこに居れば、普段母親から五月蠅く云われている行儀作法が自然と出るのでしょうね。
食事中は誰も何も喋りません。もし食べ物を一杯口に入れたまま喋ると母に直ぐに注意されます。また食器をガチャガチャ音を立ててはいけませんし、食べ物を噛む音や汁をすする音も出してはいけないのです。昔は何処の家庭でもこれくらいの作法は教えて居たようですね。
この頃はラジオしかない時代ですから、ラジオから「浪花節」なんか流れると父も夢中だったようです。「鈴木米若」「天中軒雲月」や「広沢虎蔵」当たりですかね。「浪曲」は一つの物語を節を付けて演じる訳ですから、結構娯楽にはなりますよね。あまり若い人には向かないようですが・・。