[93]物売りとご用聞き

2019年3月21日

第93回
■物売りとご用聞き
物売りと云っても、お店を構えての商売とは違います。ここで云うのは所謂「行商」です。此の当時は色々な物の行商がありました。
《富山の薬売り》
何て云ったって江戸時代からの伝統的な行商と言えば「富山の薬売り」でしょう。多少方法は違っても現代でもあるんじゃないですか? 昔は法被姿で背中に大きな風呂敷包みを担いで、月に一度は定期的に来ました。
薬は効くか効かないか知りませんが、母は重宝していたようです。薬はあまり詳しくありませんが、胃薬は「熊の胃」と云う胃薬でしょうか?
飲むと凄く苦いです。それと膏薬・・これは20cmくらいの角形で、裏の薄い紙を剥がすとコールタールのような真っ黒な薬を塗った紙です。母は良く手の指にアカギレが出来ますので、これを小さく切って患部に当てて手当していましたが、アカギレの傷が大きいときは、此のコールタールのような物の塊を買うんです。これは小さく刻んで、傷口の割れ目に当て、何と焼け火箸を当てて薬を溶かして付けるんです。でも子供達の怪我や傷には膏薬を貼り、アカギレなんかは溶かして塗る物を使っていたようです。
又うちの女中は冬になると、酷い「しもやけ」になる体質だったようで、母は「トフメル」と云う塗り薬を買っていたようです。その他沢山の薬があったようです。支払いの方法は次の月に来たときに「使った分だけ」払えば良かったようです。
「岩見銀山ねずみ取り」なんて毒薬もあったかも知れませんね。
《洗濯屋》
今ではクリーニング屋と云いますし、店を構えていてお客が持ち込むと云うのが殆どですが、昔は「洗濯屋」と云ってご用聞きでした。当時うちに出入りしていた洗濯屋は30才前後の人が自転車に大きなカバーの付いた籠を積んで来ていました。
前にも書きましたがうちの愛犬シェパードの「太郎」が凄く懐いていて、何時も散歩に連れて行ってくれた人です。
うちでは何を洗濯に出していたか知りませんが、うちで手洗い出来ないものを出していたと思いますが、あまり大した物は出して居なかったと思います。
《髪結いさん》
昭和の10年頃の家庭の奥さんは大抵「丸髷」を結っていました。それを結ってくれる人が「髪結いさん」です。小さな子は「稚児髷」を、独身の娘は「つぶしシマダ」のような髪を結っていたようです。遊郭の芸者なんかは「文金高島田」でしょうか?
どう云う約束か知りませんが、「髪結いさん」は毎月二度ほど来ていたようです。五十年配の小母さんが大きな風呂敷に大きな木の桶を持って来るのです。そして家の廊下に広げて、水だかお湯だか知りませんが、それで元の髪をほぐします。
鬢付け油を使っていますから、ほぐすのに大変な手間のようです。
母の髪を結ってないのは見た事はありませんが、この時ほぐした髪の毛は、お尻の所まであるような長い髪でした。
「髪結いさん」は馴れた手つきで結って行きますが、実に上手なものです。でも結い上がるまで一時間はかかりますね。髪結いの小母さんは終わるとそそくさと帰ります。料金は幾らか知りません。
《呉服屋》
「呉服屋」は昔から「太物商」と云いますが、何故「太物」と云うのか分かりませんが、5cm位のボール紙の筒に着物の生地を巻いているので、相当1本が太くなるから「太物」と云うのかも知れません。
呉服屋は大抵着物姿で、大きな葛籠を風呂敷に包んで肩に背負って来ます。来たら大変です・・廣い十畳の座敷に次から次と太物をスーッと広げるのです。すると母ばかりでなく、妹達や近所の小母さんや娘達も、女ばかり集まって非常ににぎやかになります。
結構商売になるようですね。僕ら男にはあまり関係ありませんけどね。終わりには馴れた手つきで、広げた着物の生地をくるくると巻いて葛籠にしまいます。