[155]昭和の歌「十三夜」榎本美佐江

2019年3月21日

第155回
■昭和の歌「十三夜」榎本美佐江
『十三夜』唄・榎本美佐江・・昭和18年
 

 ♪ 河岸の柳の 行きずりに
    ふと見合わせる 顔と顔
    立止まり
    懐かしいやら 嬉しやら
    青い月夜の 十三夜   ♪

此処10年ばかりテレビのブラウン管に姿を見せないと思っていましたら、既に亡くなっていたんですねぇ・・・
「榎本美佐江」は埼玉県川口市で大正13年3月13日に生まれました。本名は「榎本ミサエ」と云います。家が貧乏だったので10歳の時に浅草の劇場主のところに奉公に出されたそうです。昭和9年の頃です。そして14歳の昭和13年に石川県の能登で芸者になりました。そして後昭和15年に東京に移って、日本歌謡学院で唄を学び、戦時の工場や軍隊の慰問等回りました。そして戦後の昭和21年に戦前、小笠原美都子がヒットさせた「十三夜」をヒットさせましたが、時代の流れが変わってしまい、今ひとつ時流に乗れませんでした。
昭和22年に新東宝で「ぼんぼん」の女中役で映画デビューし、以後数々の映画に出演しています。昭和24年にビクターに移籍し、翌年のハワイ興行には芸者姿で歌って大喝采を浴びたそうです。昭和27年には、鶴田浩二とデュエットした「弥太郎唄旅」がヒットし、翌年に東映映画「女難街道」の主題歌「お俊恋唄」が大ヒットしました。
  『お俊恋唄』唄・榎本美佐江・・昭和28年

  ♪ 忍び泣きして からだもやせて
    結ぶ帯にも 女の泪
    こんなわたしに したまま気まま
    旅に出た人 恨みはせぬが
    思いすごしか 茶碗酒     ♪

此の唄は#3までありますが、「榎本美佐江」は常に唄っていました。此の年には映画「初恋おぼこ娘」で主演もしています。
何しろ、その鈴を鳴らしたような美声と、天性の美貌とで、日本調美人歌手として人気を得ていました。
しかし昭和30年に国鉄スワローのプロ野球選手金田正一と同棲生活に入って芸能界を引退したことが、彼女にとって不幸の始まりになってしまったようです。当時彼女は10歳も年下の金田の面倒を一生懸命に尽くしたようです。プロ野球の選手であった21歳くらいの金田に身体を揉んだり、さすったり大変だったようです。
そして昭和35年に正式に金田と結婚しました。金田はその後、読売ジャイアンツに移籍して、200勝投手として活躍しましたが、金田に宝塚歌劇団卒業の「雅章子」と云う愛人が出来て、しかも子供まで出来たと云う事で、金田との仲違いが生じて、昭和38年に離婚してしまい芸能界に復帰しました。もうこの時は「榎本美佐江」は39歳になっていました。子供はいませんでしたが、「姉さん女房」としてずいぶん尽くしたようですよ。
カムバック後も「後追い三味線」や「三味線一代」などのヒット曲を出しましたが、晩年までテレビ出演を続けていました。しかし平成10年9月23日に大腸癌のためにこの世を去りました。享年74歳でした。
そう・・テレビに出ていたのはいつ頃までだったでしょうか?何時も島田を結った芸者姿で出ていましたねぇ・・洋服姿で見たことはありませんでした。
此処までで戦前の所謂「うぐいす芸者」のお話は終わりますが、あと戦前に活躍した歌手のことを記しておきます。