[159]特別警備隊‥昭和13年
第159回
■特別警備隊
昭和13年は前年に「支那事変」が起こりましたので、徐々に戦時体制になって来ました。
「とんとんとんからりと隣組」だの、お母さん達は「愛国婦人会」だの「国防婦人会」だのの仕事が増えて行きました。・・又「出征兵士を送る会」だの、社会の様子が変わって来ました。
私らも、六年生になったので「特別警備隊」と云う組織を学校の内部で出来ました。女子生徒は除いて男子生徒だけで組織しました。6人一組で編成しましたから、六年生の男子生徒は120名居ましたので20組出来た訳です。一組、休みなしの1週間交代で任務に就きます。そして学校の先生が1週間に一人づつ交代で担当します。云ってみればこれは子供の「自警団」のようなものです。
6人一組で構成したのですが、その中で隊長1名、副隊長1名作ります。全部で20組ですから、20週間経てば又任務に就くわけですが、その時は隊長、副隊長は交代します。
その週の担当は、白い襷がけの紐に、隊長は真っ赤な毛糸の房の付いた物で、副隊長は緑の房で、隊員は白の房です。
此の襷は、それなりの権威があったようで、学校の生徒ばかりではなく、一般の人達も「ご苦労さん」と声を掛けてくれました。勤務は朝6時から夜8時までですから、相当きついですが授業があるときでも、教室で襷がけでした。
授業が終わった後は、町中の見回りをして、生徒がいたづらしていないかとか、こそ泥が入っていないかとか、何しろ子供にとっては大変な仕事でした。襷を外して手に持って、それを振り回しているだけで、それなりの効果があったようで、下級生などは、見るなりびびっている様子でした。
とにかく、人の迷惑になるようなことは、絶対ダメ・・と云うことです。
今は万引きなんか盛んなようですが、昔はとんでもないことで、警察沙汰ですよ。昔は八字髭を生やして、サーベルを下げていたお巡りさんでしたからね。怖い存在でした。
1週間の任務が終わったときは、担当の先生の前で、次の任務に就く生徒に申し送りと「襷」を渡します。見回りして気が付いたことは、チャンと申し送りをしなければなりません。こうして連帯感と連帯責任と云うものが、作られて行くんですね。