[17]尋常小学校と通信簿(2)
第17回
■尋常小学校と通信簿(2)
此の頁の下の欄は「本人年齢の東京市立小学校児童身長体重胸囲平均表」とあり、(昭和七年度)とあり、下に注記で「本表に於ける七年とは四月一日に於いて六年一日以上満七年までを指す」とあります。
年齢 7年 8年 9年 10年 11年 12年 13年 14年
男
身長 110.0 114.9 119.8 124.4 129.4 135.9 138.2 144.4(cm)
体重 18.0 19.9 21.9 24.1 26.5 29.4 31.8 39.9(Kg)
胸囲 54.1 56.0 57.8 59.6 61.4 63.4 65.5 68.2(cm)
女
身長 108.7 113.8 118.7 123.5 128.9 135.1 139.2 144.5(cm)
体重 17.4 19.4 21.3 23.5 26.3 29.9 33.5 38.0(Kg)
胸囲 52.4 54.4 55.8 57.7 59.8 62.7 65.9 69.1(cm)
以上のように書かれていますが、それから七十四年経った現在と比較したらどうでしょうか?
此の「通告」の裏面には「十思尋常小学校暦」と云う欄になっていて、
第一学期 四月一日より八月三十一日に至る
第二学期 九月一日より十二月三十一日に至る
第三学期 一月一日より三月三十一日に至る
始業時刻 午前八時 四月一日より十月十五日まで
午前九時 十月十六日より翌年三月二十五日迄
そして次に一年の行事が書かれている。
四月一日 入学式
四月中 身体検査
四月二十九日 天長節 (当時は昭和天皇の誕生日のこと)
四月三十日 靖国神社春季大祭につき休業
五月八日 本校創立記念日
自七月二十一日 至八月三十一日 夏季休業
九月十五日 鎮守祭につき休業
十月二十三日 靖国神社秋季大祭につき休業
十月三十日 勅語奉読式
十一月三日 明治節 (明治天皇の誕生日のこと)
自十二月二十五日 至一月七日 冬季休業
一月一日 四方拝
二月十一日 紀元節
三月六日 地久節につき休業(昭和天皇の皇后の誕生日)
三月二十五日 証書授与式
自三月二十六日 至三月三十一日 学年末休業
その他休業日 大祭日、日曜日
そして最後に「在学証明書」が付いています。
此の通告書には変なことがありました。変なこととは担任の先生の印が二学期迄しか押してなく、中の担任訓導の欄に書いてあった先生の名前が棒線で消してあるのです。
そして学年末の欄には校長の印が押してありました。あとで聞いた「噂話」ですが、此の一年男組の担任の先生が女子児童に手を出して「くび」になったそうです。現代でもこのような事件は屡々起きているようですが、昔の時代は先生は「聖職」と云われ、誰よりも尊敬されていた時代です。でもこのような事件が起きます。先生だって人間だから・・と云う言葉は通用しない時代です。恐らく厳罰に処せられたと思います。
そして昭和10年の二年生の三学期が終えた頃、生まれた日本橋区から小石川区に引っ越しました。今までの8才までの出来事は殆ど断片的にしか覚えて居ませんが、此の8才から終戦の昭和20年(18才)までは、正に子供の時代とは云っても一生忘れることの出来ない時代でした。
昭和10年の二年生の三学期を終えて小石川の「明化小学校」に転校しました。自宅は「省線」(後の国鉄、今のJR)山手線の「巣鴨駅」から歩いて2?3分の所にありましたが、明化小学校は歩いて15分くらいかかりました。
此の「明化小学校」は東京でも有数の伝統のある学校でした。開校は明治八年で、平成十六年には開校130年記念行事が行われたようです。私らはその丁度半分の65期生です。
此の学校は戦災にも遭わず、今でも昔の面影を残して居ます。この学校に入ったときは校庭に大きな太い「ケヤキ」の木がシンボルとしてあったのですが、残念ながら今は無く、替わりに「楠」がシンボルになっているようです。
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