[78]プロ野球

2019年3月21日

第78回
■プロ野球
ここで趣を変えてスポーツの世界を思い出しましょう。
野球はプロ野球が主ですが、あまり詳しくは知りませんが、子供の頃は近所のお屋敷の大学生の兄弟のお兄ちゃんが、庭先でボールを投げてくれるのを打って遊んでくれた事はずいぶんありました。子供達のベースボールは結構盛んだったと思います。
なんでも野球が日本に伝わったのは、明治四年頃に東京開成校( 開成校については、後に昔話でお話します)にアメリカの教師ウィルソンと云う人によつて伝えられたと云われています。明治四年では私は全然知りませんが、此の教師の指導で日本で初めてベースボールの試合が明治六年に行われたと云う記録があります。
職業野球の原点になったのは明治38年に早稲田野球部が海外遠征したのが切っ掛けとなり、明治40年に三田の綱町グラウンドで慶大対セントルイス戦で有料で観客に見せたのが始まりのようです。
翌年にはアメリカのプロ選手が来日して日本と試合をしたそうですが、17戦して日本は全敗だったそうです。
大正四年には第一回の全国中等学校野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)が開かれて居ますが、開かれた球場は大阪・豊中球場だったそうです。現在の様に「甲子園球場」になったのは大正13年からだそうです。それにしても今から82年前になりますねぇ。
大正9年以来アメリカチームが頻繁に来日して日本チームと試合はしたようですが、日本は負けっ放しでアメリカには歯が立たなかったと云います。
そして大正10年に明治38年に最初に海外遠征をした「河野安通志」「橋戸信」「押川清」を中心として「日本運動協会」が創立され、プロ野球の原点となる職業野球が成立したと云います。そして此の協会は東京芝浦に専用球場を建設して、選手を一般公募したそうです。そして9月に早大野球部と試合したそうですが負けてしまったと云います。
大正12年には、奇術師の松旭斎天勝一座が作った「天勝球団」と前記の「日本運動協会」とが6月に行われましたが、協会が勝ったそうで、これがプロ野球の国内同志の最初の職業野球の始まりだったそうで、次第に盛り上がって来たようです。しかしこの年の9月1日にあの関東大震災が起きてしまったのです。これによって芝浦球場も被災し、当局の管理下に置かれて活動が困難となり、日本運動協会は翌年1月に解散すめることになりました。
その年の2月に阪急電鉄の社長の小林一三の招きで、兵庫県宝塚に本拠地を移して宝塚協会として再結成されたそうですが、昭和四年にこれも解散したと云います。関東大震災後まのことで、一般には野球どころではなかったのでしょう。
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