[142]昭和の歌「酋長の娘」他
「唄は世につれ、世は唄につれ」と云いますが、全くその通りだと思いますね。今の若い世代の唄と、中年の人が好む唄と、我々のような老人の好む唄は違いますね。「思い出の唄」と云うものは、其の時代に生きたと云う証拠です。
[141]楠木繁夫・三原純子との出会い
「三原純子」は大正9年8月6日、岐阜県飛騨高山白川郷の生まれで、女学校を卒業後は名古屋で音楽の基礎を学び、上京後も作曲家などに師事して、昭和14年19歳の時、タイヘイ・レコードの専属歌手になりました。そして芸名を「三原純子」となりまし ...
[140]楠木繁夫と三原純子
此の二人は夫妻ですが、三原純子は現代の三原じゅん子とは別人です。楠木繁夫と三原純子は夫婦でしたが、楠木繁夫は妻の病気を苦にして自殺しました、療養中であった妻の三原純子も後を追うように若くして死去しました。
[139]藤山一郎(ふじやまいちろう)
藤山一郎は明治44年4月8日に東京日本橋蛎殻町のモスリン問屋「近江屋」に兄弟五人の末っ子として生まれました。