[24]アンコールトム-バプーオン-Baphuon-

 

バプーオン-Baphuon-|アンコールワット世界遺産
東塔門を入ると円柱に支えられた長さ200mの「空中参道」お出迎え。(2006年4月8日撮影)
バプーオン-Baphuon-|アンコールワット世界遺産
参道は地上と天界をつなぐ「虹の架け橋」でもある。内部の中央祠堂はアンコールワットと同じく須弥山
(しゅみせん)を表すもの。(2006年4月8日撮影)
バプーオン-Baphuon-|アンコールワット世界遺産
現在は修復中のため中には入れない。(2006年4月8日撮影)

バイヨンの次に見るのがバプーオン寺院。隠し子という意味を持つ寺院です。

なぜ隠し子なのか?

その昔、シャム(現在のタイ)の王とクメール(現在のカンボジア)の王とは兄弟であり仲が良かったのです。あるときシャムの王は自分の子供をクメールに預けたいと申し出ました。

クメールの王は快く受けたのですが、その家臣らは「これはクメールを乗っ取るための策略である」として、その子供を殺してしまいました。怒ったシャム王はクメールを攻めてきたのです。

クメール王の子供の母親は「今度は自分の子が殺される」と恐れおののき、そのときに子供を隠したのがこの寺院。ゆえに「バプーオン=隠し子」という伝説が生まれたのです。

このバプーオン寺院は残念ながら修復中のため、中央祠堂には入れませんでした。建立当時は50mほどの塔であり、これはアンコールワットより高いものだったとされますが、今は今は崩れ落ちてしまい、その面影をわずかに残すのみです。

[23]アンコールトム-バイヨンの回廊-

アンコールトム-バイヨン-|アンコールワット世界遺産

クメール人の特徴は短い髪と長い耳たぶ。
(2006年4月8日撮影)
アンコールトム-バイヨン-|アンコールワット世界遺産

珍しいお産のシーン。産婆さんらしき人が泣いている。死産だったか、あるいは母体がもたなかったのか。(2006年4月8日撮影)
アンコールトム-バイヨン-|アンコールワット世界遺産

戦いに勝って凱旋を祝っての調理風景。左からご飯を炊き、豚を茹で、右はバナナを焼いている。(2006年4月8日撮影)

東西160m、南北140mの第一回廊の壁面に描かれているレリーフは必見。12世紀の息吹が伝わってきます。
戦いだけでなく、当時の娯楽や生活も垣間見ることができます。投網で漁をする人、狩をする人、炊事や闘鶏、将棋に相撲など、その表情は生き生きとしています。印象深いのは出産シーン。産婆さんが泣いているところを見ると、死産が母体に異変があったのか、定かではありませんが人間の営みを深く感じることができる光景です。

アンコールトムのバイヨンはそれほど広くはないですが、当時のクメール人の文化が凝縮している遺産です。特にその回廊は時間をかけてゆっくり鑑賞したいところですが、ツアーの場合はそれほど時間を取れません。ガイドさんの言葉に一生懸命耳を傾けるのが精一杯となります。ぜひここは事前に勉強してから訪問したいところです。

[22]アンコールトム-バイヨン-

 

アンコールトム-バイヨン-|アンコールワット世界遺産

観世音菩薩の四面塔を一番良い角度から撮影。この塔はテラスに49、塔門を入れると全部で54個ある。
(2006年4月8日撮影)
アンコールトム-バイヨン-|アンコールワット世界遺産

これは闘鶏の場面。左がクメール人、右が中国人。後ろには金壷を持った胴元がいる。生活がかかっている博打でもありまた、娯楽でもある。(2006年4月8日撮影)
アンコールトム-バイヨン-|アンコールワット世界遺産
船から落ちてワニに食われる敵兵。(2006年4月8日撮影)

アンコールトムはベトナムのチャンパ軍との戦いの歴史が刻まれている遺跡です。1177年ころのアンコールはチャンパ軍に制圧されており、それを開放したのがクメールの覇者と呼ばれるジャヤバルマン7世。このときに建設されたのが都城アンコールトムです。このほか寺院や道路、さまざまな施設を建立し、クメール帝国の礎となったののもこの時代です。

アンコールトムを象徴するのが観世音菩薩の四面塔。この塔はテラスに49、塔門を入れると全部で54個あり、静かな微笑で庶民を安堵のに導きました。

またアンコールトムはその回廊に施されたレリーフが見どころです。バイヨンのレリーフは当時の生活や戦争の様子が克明に描かれていて興味深いのもがあります。特にチャンパ軍との戦いぶりは絵巻物のよう。ワニに食われる戦士、凱旋して帰る喜びの姿、お産の光景など興味は尽きません。