[43]タ・プロームへ

バンデアイスレイを後にして、カンボジアでは最後のスケジュールとなるタ・プロームへ向かう。巨大な榕樹(ようじゅ=スポアン)に押しつぶされそうになりながらも辛うじて寺院の体裁を保っている有名な遺跡です。創建年代は1186年。ジャヤヴァルマン七世が母のために建てた仏教僧院です。バンテアイスレイに比べると、黒く暗く重たい感じのする遺跡です。
 

タ・プローム東門の榕樹。回廊を踏みつけるような力強さがみなぎっています。(2006年4月9日撮影)

事前の調査ではこのスポアンはガジュマル(観葉植物でおなじみのゴムの木の仲間)だと聞いていたのですが、実際に見てみるとかなり雰囲気は違います。まず、この時期(乾季)には葉を落としています。日本ではゴムの木といえば一年中青々としていて落葉はしません。しかし石の間を割り込むように張り巡らす根は、ゴムの木特有の気根だとわかります。

4月はまだ乾季のため、このように落葉するスポアン(榕樹)。(2006年4月9日撮影)

[42]地雷の傷跡

カンボジアといえば地雷。今でも約100万個とも600万個ともの地雷が埋まっているとされます。シェムリアップは観光地だから地雷の危険は無い、と思ったら大間違い。逆にシェムリアップは地雷の多い町なのです。しかし観光地をガイドと回る分には危険はありません。冒険者気分になって一人で歩き回らないことが肝心です。

ホテルでテレビでは、日本のNHKなどの衛星放送も受信することができますが気ままにチャンネルを回すと、早速地雷の番組を発見。地雷の撤去作業や危険箇所などをテレビでも放映しているのです。長い内戦時代に埋設された地雷は今尚住民を脅かしているのです。
 


バンテアイ・スレイ遺跡の入り口には地雷でからだの一部を失った人たちが演奏を聞かせています。
(2006年4月9日撮影)

地雷は敷設の容易さ(地雷一個のコストはわずか1?3ドル。空中散布も可能)に比べ、その撤去は困難を極めます。特にカンボジアは雨季にほとんどの国土が水没するため地雷の発見はひどく困難になります。仮に地雷を撤去するとしてもその間は住民は農耕ができなくなります。住民には代替地が用意されますが、そこで農耕ができるという保証はありません。国家の補助も薄く、住民は仕方なく地雷危険地で農耕を営まざるを得ない状態となるわけです。その結果犠牲となるのは農民をはじめ一般市民というわけです。


親の演奏が終わるのを待つ子供たち。物乞いをしたり、物売りはしていません。
(2006年4月9日撮影)

[41]東洋のモナリザとデパダー

有名な「東洋のモナリザ」は中央祠堂の脇、北塔の左側にあるのですが、残ながら写真には撮れませんでした。しかし、各塔の門の脇にはそれぞれ特徴のあるデパダー像が彫られています。
 


これはいわゆる東洋のモナリザではありませんが、劣らぬ美しさを誇るデパダー像。アンコールワットのデパダー像に比べると彫りが深くて柔和。
(2006年4月9日撮影)