[34]プノンバケンの丘でサンセット

アンコールワット観光を終えると次に控えているのがプノンバケンからの夕日見物。プノンバケンは自然の丘陵を生かした遺跡で、プノンクロム山、プノンボック山とともにアンコール三聖山としてあがめられている場所。急勾配を登りつめるとテラス状に広場があり、その上にピラミッド様の遺跡プノンバケンがあります。足場はそう悪くはないですが、足腰に自信のない人は象に乗って登ることもできます。
 


プノンバケンへ向かう階段は結構急勾配。
(2006年4月8日撮影)

ここは遺跡といっても小さく、夕日を見るために登るようなもの。丘の上に上がると四方が開け、遠景が絶品。アンコールワットも眼下に見下ろすことができます。夕日が沈むと途端に暗くなるので、そこそこで引き上げるのが無難。最後まで粘ると、帰りの階段が超混雑します。


みんな間違えますが、日が沈むのはトンレサップ湖ではなく、人口の貯水池(西バライ)とのこと。
(2006年4月8日撮影)

[33]第三回廊へ向かう魔の階段

アンコールワットの最大のイベントは中央祠堂第三回廊へ向かうときに登る階段です。この急勾配は半端ではなく、まるで登るのを拒否するかのように立ちはだかっています。下から見るとそうでもないですが、登っている途中下を見てはいけません。くらくらします。それでも皆上っていき、またけが人も出ないところを見ると、やはり不思議なパワーがあるのでしょうか。

 


中央祠堂へ向かう階段。
(2006年4月8日撮影)

高さはビルの3階くらいあり、そこにハシゴを掛けて登るという表現が当たっていると思います。一段の幅は20cmもなく、それでもって一段の高さは30cm以上。


唯一手すりのある階段は下り専用。手すりと言っても細い鉄棒が頼りなく埋め込んであるだけ。やはりくらくらするのは同じこと。
(2006年4月8日撮影)

[32]アンコールワットの壁画

カンボジアと日本の交流は古くからあり、仏教の聖地インドとともに宗教上訪問した日本人も少なくなかったとされています。アンコールワットの西塔門から十字回廊を右に曲がったあたりに日本人・森本右近太夫一房が残した墨書きがあります。単なる落書きですが歴史的意味合いが強いためそのまま残してあるのです。内容は1632年(寛永9年)にカンボジア(当時は南天竺と呼ばれた)に父母の菩提を弔う為に渡り仏像4体を奉納する、というようなことが書かれています。当時はアンコールワットはインドの祇園精舎と思われていたようです。


森本右近太夫一房が残した墨書き。歴史的意味合いが深い一筆?
内容は以下のとおり。

寛永九年正月初而此所来
生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房
御堂心為千里之海上渡
一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
其仏像四躰立奉者也
摂州津池田之住人森本儀太夫
右実名一吉善魂道仙士為娑婆
是書物也
尾州之国名谷之都後室其
老母亡魂明信大姉為後世是
書物也
寛永九年正月丗日

(2006年4月8日撮影)

アンコールワットの第一回廊の壁画はそれぞれが物語になっており読み進むように巡ると面白い。訪問前に勉強しておくとよくわかると思います。西塔門から第一回廊に入るとまず目に付くのが西面南側の壁画「マハーバラータ」と西面北側「ラーマーヤナ」の物語です。「マハーバラータ」は王族家同士の戦い、「ラーマーヤナ」はラーマ王子と悪魔ラーヴァナとの戦いを表現した、ともにインド古代の物語です。


西面北側の「ラーマーヤナ」の物語の壁画。ラーマ王子が加勢するサル軍の将ハヌマーンの肩に乗って、悪魔軍に矢を射るラーマ王子。
(2006年4月8日撮影)