[33]第三回廊へ向かう魔の階段

アンコールワットの最大のイベントは中央祠堂第三回廊へ向かうときに登る階段です。この急勾配は半端ではなく、まるで登るのを拒否するかのように立ちはだかっています。下から見るとそうでもないですが、登っている途中下を見てはいけません。くらくらします。それでも皆上っていき、またけが人も出ないところを見ると、やはり不思議なパワーがあるのでしょうか。

 


中央祠堂へ向かう階段。
(2006年4月8日撮影)

高さはビルの3階くらいあり、そこにハシゴを掛けて登るという表現が当たっていると思います。一段の幅は20cmもなく、それでもって一段の高さは30cm以上。


唯一手すりのある階段は下り専用。手すりと言っても細い鉄棒が頼りなく埋め込んであるだけ。やはりくらくらするのは同じこと。
(2006年4月8日撮影)

[32]アンコールワットの壁画

カンボジアと日本の交流は古くからあり、仏教の聖地インドとともに宗教上訪問した日本人も少なくなかったとされています。アンコールワットの西塔門から十字回廊を右に曲がったあたりに日本人・森本右近太夫一房が残した墨書きがあります。単なる落書きですが歴史的意味合いが強いためそのまま残してあるのです。内容は1632年(寛永9年)にカンボジア(当時は南天竺と呼ばれた)に父母の菩提を弔う為に渡り仏像4体を奉納する、というようなことが書かれています。当時はアンコールワットはインドの祇園精舎と思われていたようです。


森本右近太夫一房が残した墨書き。歴史的意味合いが深い一筆?
内容は以下のとおり。

寛永九年正月初而此所来
生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房
御堂心為千里之海上渡
一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
其仏像四躰立奉者也
摂州津池田之住人森本儀太夫
右実名一吉善魂道仙士為娑婆
是書物也
尾州之国名谷之都後室其
老母亡魂明信大姉為後世是
書物也
寛永九年正月丗日

(2006年4月8日撮影)

アンコールワットの第一回廊の壁画はそれぞれが物語になっており読み進むように巡ると面白い。訪問前に勉強しておくとよくわかると思います。西塔門から第一回廊に入るとまず目に付くのが西面南側の壁画「マハーバラータ」と西面北側「ラーマーヤナ」の物語です。「マハーバラータ」は王族家同士の戦い、「ラーマーヤナ」はラーマ王子と悪魔ラーヴァナとの戦いを表現した、ともにインド古代の物語です。


西面北側の「ラーマーヤナ」の物語の壁画。ラーマ王子が加勢するサル軍の将ハヌマーンの肩に乗って、悪魔軍に矢を射るラーマ王子。
(2006年4月8日撮影)

[31]シェムリアップとは?

シェムリアップとは「シェム(シャム=タイ)を追い出した(REAP)」という意味。つまり戦勝の地なのです。といっても追い出したのはフランス。フランスはタイを追い出しましたが、代わりにカンボジアを植民地としました。領土は取り返してくれましたが、代わりに遺跡にある財宝や美術品をフランスは持ち帰ってしまいました。まさに戦争の歴史そのもののカンボジアです。観光客を見ても、過去の歴史を考察しているのか言葉からアメリカ人ではなくヨーロッパ人が多いことに気づきます。

「タイを追い出した」なんて地名があれば、タイ人はよく思わないでしょう。そのとおりで、カンボジアとタイ、もしくはカンボジアとベトナムはそれほど仲良くありません。過去に散々戦争をしてきたわけですから。タイやベトナムで買ってきた民族衣装などをカンボジアで身に着けることは危険ですからやめておきましょう。

また、戦争の話や、政治の話、宗教の話を現地民間人とするのは控えましょう。ガイドさんは心得ているので、疑問点があればガイドさんに聞けば安心です。ただしガイドさんも、日本人を軽く見ているきらいがあるので、心から気を許しているわけではなさそうです。
 


シェムリアップ国際空港。
日本からの直行便はないですが、ベトナム、タイ、中国、韓国からは直行便があります。カンボジアへはここから入り、ここから出るのがもっとも安全。
(2006年4月9日撮影)